ここでは、過去に掲載された記事や作品を週替わりで紹介しています。↡

緑の環境委員会24 (終)

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親子みち草散歩図鑑24

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これは何の花でしょう?3

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佐藤春夫
館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(35)

初恋の人、大前俊子との出会い(四) 春夫に「猶太(ゆだや)なる大工の子より我が街の瀬戸物屋なるかの子恋しき」(明治43年2月「スバル」)の和歌があるように、これまでは年譜的にも俊子は陶器店の娘とだけ把握されることが多かっ […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき34~佐藤春夫の少年時代(34)

初恋の人、大前俊子との出会い(三) 春夫の両親が熊野病院の3号室への入室を禁止したのは、肺結核の感染を恐れての事でした。最初は肋膜炎であったものが、やがて肺結核に進行したものだろうと、春夫は推測していますが、「忘れ難き人 […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(33)

初恋の人、大前俊子との出会い(二) 佐藤春夫と小学校以来の同級生で新宮中学へも一緒に通い、春夫の新たに発見された日記にもしばしば登場する玉置徐歩(じょぶ・大石誠之助の兄玉置酉久の3男)は、「佐藤との昔話し」(「熊野誌」1 […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(32)

初恋の人、大前俊子との出会い(一)  春夫にとって女性に興味を抱き始める思春期―「南国生まれのわたくしははなはだ早熟であった。そうして色情と詩情とはほとんど同時に知った。思うに、この二つは根本では全く同質のものではないだ […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき31~「佐藤春夫の少年時代」(31)

春夫の新宮中学生活あれこれ(続) この(明治38年)10月30日の坊主山(ぼうずやま・現在の王子ヶ浜小辺)に集合した授業ボイコットは、後述する明治42年10月の、新宮町を巻き込んで展開された大々的な新宮中学の同盟休校と比 […]

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山ちゃんの気まま旅
山ちゃんの気まま旅61~海水浴

2泊3日で、南紀白浜に海水浴に行って来ました。 年金生活者なので、ホテル泊なんてとんでもない、会社の保養所です、この写真は宿泊した部屋から撮影したもので、高台に有るので見下ろす景色は抜群。 右奥にカーブして見える砂浜は「 […]

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辻本雄一
館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(30)

春夫の新宮中学生活あれこれ 新宮周辺で教員生活を続けた岡嶋輝夫は、新宮中学卒業後50年に当たる昭和34年4月に、私家版「五十年誌」を編んでいます。限定25部という僅少であったようですが、25名の同級生(新宮中学第4回卒) […]

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山ちゃんの気まま旅
山ちゃんの気まま旅60~京都の山麓部に咲く「北山友禅菊」

京都最北端、福井/滋賀との県境近くの山里に咲く幻の花「北山友禅菊」 が見頃を迎えているので、早朝に出発して見物してきました。対向車が来ないかヒヤヒヤする山道を最後に10キロ位走った所に、「久多ーくった」と言う超過疎の地で […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(29)

新宮中学生の投書熱 春夫より8歳年長で明治17年生まれの和貝彦太郎(号は夕潮)は、明治40年3月に新宮中学を卒業した第2回生ですが(春夫は4回生として入学します)、中学生の投書熱について次のように述べています。和貝は春夫 […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき~28「佐藤春夫の少年時代」(28)

・春夫の新宮中学学生生活から―海外出稼ぎ子弟と通学路探索 春夫の「わんぱく時代」(昭和32年10月から翌年3月まで朝日新聞夕刊に144回に亘って連載・挿絵を和歌山市出身の画家川端龍子が担当)の「遠い学校」の章は「小学校と […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(27)

春夫入学の頃の新宮中学校―「熊野大学」といわれた ようやく、春夫の新宮中学時代の記述に辿り着いた感です。新宮中学は開校してまだ間もない頃です。 和歌山県立新宮中学校(現新宮高校)が第2中学校分校(田辺)として開校したのは […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(26)

日本キリスト教新宮教会のこと 春夫が姉とともに通った日曜学校は、「日本キリスト教会新宮教会」のことで、新宮の仲之町にキリスト教会堂を設立、献堂式が挙げられるのは、明治17年6月10日の事です。 大石余平らの努力によって、 […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(25)

春夫の英語学習とクリスマスのこと 春夫の日記の記述で気になることのひとつに、高等小学校時代、放課で帰宅すると毎日のように英語を学びに通っていることがあります。それはキリスト教会新宮教会であったと思われ、英会話であったのか […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(24)

・第五回内国博覧会をめぐって ここで、春夫の「日記」の記述に戻ってみれば、和歌山の高等女学校に通っていた姉保子が3月27日に帰省してきて、三輪崎港まで迎えに行っています。3時頃三輪崎に着きましたがなかなか船は入って来ず、 […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(23)

・日露戦争に鼓舞される少年 春夫の日記によれば、2月9日夕刻号外が届き、「日露開戦我軍大勝利敵艦二隻を撃沈したよ、万歳大勝利」とあります。大勝利が3度繰り返されています。翌10日は3時に学校から帰ると号外があったので見る […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき~佐藤春夫の少年時代(22)

・春夫の高等小学校時代から新宮中学入学へ 明治36年2月11日下本町の男子高等小学校で紀元節恒例の拝賀式が行われていますが、いつもと違うのは、椿和歌山県知事の出席のもと、部長以下各地の学校長も召集されていました。知事の臨 […]

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佐藤春夫
館長のつぶやき「佐藤春夫の少年時代」(21)

佐藤春夫の小学校時代 春夫の父親の系譜、母親の系譜などを多岐にわたって記述してきたために、なかなか春夫自身の成長する記述に辿り着けませんでした。ようやく小学校時代に辿り着けた感じです。 春夫が新宮尋常小学校(後の丹鶴小学 […]

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フランスあれこれ
フランスあれこれ112 セーヌ川に架かる橋 =「ポン ・ヌフ(新橋)」

ポンヌフとはフランス語で“Pont Neuf”即ち新橋を意味します。現存するパリのセーヌ川に架かる橋では最古です。一体どういう事?と思われると思いますが、実は私も最初は同じ思いでした。今回古い旅行案内やネットを使って調べ […]

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佐藤春夫の少年時代
佐藤春夫の少年時代(20)

母方の系譜と春夫の「初めての旅」(4) 実さんがアメリカへ渡ってから5、6年、ある年の暮近く、実さんから久しぶりの便りがきます。他に、「例の母の嫂(あによめ)の兄」からの便りでは、実さんは「肺病」が悪くなって日本に帰りた […]

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佐藤春夫の少年時代
佐藤春夫の少年時代(19)

・母方の系譜と春夫の「初めての旅」(3) 既に取り上げた長雄道二の私家版「漫筆」という冊子本に、「竹田と鈴木」と題する項があり、そこには、「吾が勝浦に小学校を創設せしは明治八年なるが、明治二十年新小学校令実施に因り勝浦小 […]

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