わが町中野島考

わが町中野島考
石仏・石碑を訪ねて

皆さん、近所を散歩している時に、道端に古びた祠や石仏、はたまた石碑がいくつもあるのをご覧になったことがおありだと思います。 石仏や石碑はすでに風化で摩滅していて彫られた文字や表情はかなりおぼろになっていますが、それらが馬 […]

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わが町中野島考
筏流しと筏道

江戸時代、多摩川は材木の運搬路として利用されていた。すなわち、奥多摩など上流地域から伐り出された材木を筏に組んで下流の六郷まで運んでいた。古い文献によれば、延享元年(1744)3月、日光御用材を甲州(山梨県)丹波山より伐 […]

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多摩川の氾濫(2)

多摩川は氾濫のたびに何度も流路を変えており、ほぼ現在の流路に近くなったのは天保7年(1836年)といわれている。多摩川の流路の変化により村が寸断された例は先に見たとおりだが、もう一つ登戸についての興味深い話をご紹介しよう […]

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わが町中野島考
多摩川の氾濫(1)

昨年の台風19号の時は中野島近辺でも多摩川が氾濫危険水位を超え、住民の不安がかつてないほど高まったことと思う。何年か前に近辺の堤防をいわゆる「スーパー堤防」へと改修したおかげであろうか、幸いにも氾濫を免れることができた。 […]

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石灰石列車

「南武線いまむかし」の記事で、南武線が、砂利輸送のための鉄道として始まり後に石灰石輸送へと変化したことを述べました。その石灰石輸送について密接な関係があった青梅線とのつながりについての追加情報です。 「青梅線 石より人が […]

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多摩川の砂利

我々が日々利用している南武線の前身が、意外なことに、多摩川の砂利を運搬するために敷設された「多摩川砂利鉄道」だったということから、なぜか多摩川での砂利採取の歴史についてもう少し知りたくなった。ということで、いろいろ資料を […]

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わが町中野島考
中野島 住居表示の変遷

<< 明治14年の地図 >> << 明治39年の地図 >> 上の2枚の地図をご覧ください。我々が住むここ中野島の明治時代の地図です。 明治14年の地図には「中野島村」と記載 […]

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わが町中野島考
中野島駅と稲荷神社

かつて、中野島駅の周りには、特産の梨畑が多くありましたが、宅地化が進んでめっきり減ってきました。まわりは一戸建ての住宅地や高層の集合住宅に変わりつつあります。特に最近は、建設中の市営住宅やマンションなどが多いように思いま […]

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わが町中野島考
南武線の動画を制作しました!

南武線に関する原稿をもとに、動画を制作しました。どうぞご覧ください! 南武線いまむかし (八咫烏)

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わが町中野島考
南武線いまむかし

川崎市を縦貫する「南武線」は、私たちの毎日の生活に欠かせない大切な路線であるが、その歴史についてはほとんど知らない。比較的地味な路線ではあるが、語るべきことは多い路線だと聞いたことがある。はたして、どのような背景で鉄道が […]

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わが町中野島考
新企画「ぶらり中野島歴史散歩」のお知らせ

ある日、つくる会に1枚の古地図が持ち込まれました。明治14年にフランス人によって製作された中野島近辺の古地図でした。見ると、「中野島村」という文字が右から左に向けて書かれてあり、現在の地図と比較すると、多摩川の境界線など […]

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ハイムに暮らす
中野島多世代つながり愛プロジェクト(18) 10月から新体制

地域でのあいさつ運動や居場所づくりを通じた助け合い活動「中野島多世代つながり愛プロジェクト」が、10月から新体制を迎えたことを、地域情報紙、タウンニュースが10月5日号で報じています。 ご存知の通り、ハイムのひろばでは7 […]

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わが町中野島考
中野島多世代つながり愛プロジェクトの活動紹介(最終回) 資料17

本HPでは、資料をお見せしながら、このプロジェクトの背景について説明し、その活動紹介を行ってきました。今回はその最終回です。 プロジェクトは本年9月で終了となりますが、今後も活動は継続されていきます。 プロジェクトの推進 […]

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スタッフ・ブログ
中野島多世代つながり愛プロジェクト 交流と居場所づくりの具体例 資料16

中野島つながり愛プロジェクトの第二層は「交流と居場所づくり」です。 地域でのまち・人・くらしプロモーターは交流活動の企画・運営・サポートを行い、多世代交流の場→ご近所同士の助け合い の実現を目指しています。 具体例として […]

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ハイムに暮らす
中野島多世代つながり愛プロジェクトの実践 多世代挨拶キャンペーン 資料14

プロジェクトの全体像は三層構造になっていました。 次の3つです。 ・第三層  困りごとの支え合い (手段的) ・第二層  交流と居場所づくり (社会参加) ・第一層  心の支え合い    (情緒的) それでは具体的にプロ […]

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わが町中野島考
中野島多世代つながり愛プロジェクトの実践 協議会について 資料13

中野島駅前のフェンスにこんなバナーが貼られているのをご存知ですか。 「あいさつで つながる心 咲く笑顔」 イラストはかわいい梨の兄弟姉妹?です。 標語は中野島中学の生徒たちが選び、マスコットは中野島の小学生が描いたものだ […]

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ハイムに暮らす
中野島多世代つながり愛プロジェクトの全体像 資料12

前号では「ジェネラティビティ」という耳慣れない言葉を紹介しました。   主催者の説明によれば、ジェネラティビティとは「次世代の価値を生み出す行為に積極的にかかわること」とのことでした。   さて、本号 […]

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スタッフ・ブログ
中野島多世代つながり愛プロジェクト 目指すべき町のイメージ 資料11

前号では課題解決の方向性について報告しました。 それでは、課題を解決することによって、具体的にどんな町を実現したいと考えているのでしょうか。そこで、示されているのが次の2枚の資料です。 ここでは耳慣れない言葉が掲げられて […]

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ハイムのHOTな話
中野島多世代つながり愛プロジェクト 課題解決の方向性 資料10

さていままで9回に渡り資料をご覧頂いていますが、いよいよ本プロジェクトの根幹としての「課題解決の方向性」についての考察に入っていきます。 統計や定量的な資料をたくさん見てきましたが、結局のところ、「子育て世代」と「高齢者 […]

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ハイムのHOTな話
中野島多世代つながり愛プロジェクトの背景 資料9

前号では次の仮説について触れました。 「世代内交流をしている者は、交流をしていない者より精神的に健康であり、世代間交流もしている者はさらに健康度が高い。」 一方で、我が国の高齢化率はおおよそ27%で、さらに上昇傾向にあり […]

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