2018年10月

ハイムクラブ
歩く会で高尾山に行ってきました。

昨日(10/30)19人の参加者で高尾山に行ってきました。 最高のお天気に恵まれました。 幹事の方のご配慮で各々の体力に合ったコースで楽しく歩いてきました。 ケーブルカーを降りた後、登りは階段コースを選んだ私は 日頃の運 […]

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つくる会議事録
つくる会 第9回10/28打合せ 議事メモ

「ハイムのひろば」をつくる会 第9回打合せ 議事メモ 開催日:2018/10/28  場所:集会室洋室 参加者:池原、齋藤、鈴木、竹ノ内、西、宮川、宮田、渡辺、渡邉、山根、杉山 議事内容: 1.幹事役、書記役の選任 幹事 […]

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ハイムのHOTな話
中野島駅北口改札工事説明会に行ってきました

本日午後7時から8時半まで、中野島小学校で開かれた川崎市による説明会に参加してきました。 市の挨拶とひと通りの説明が20分ほどで終わり、その後、会場からの質疑応答の時間になったのですが、新多摩川ハイムからも何人も出席して […]

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ハイムのひろば美術館
美術館で「名画クイズ」を掲載開始!

本日より、ハイムのひろば美術館で「名画クイズ」が始まりました。世界に数ある名画のなかから、比較的日本人に馴染みのある名画を選んでいます。 絵を見てその作者の名前を3つの選択肢の中から当てていただくクイズです。この「名画ク […]

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ガーデニングクラブ
花たちから感謝を込めて「ありがとパーティー」

「花たちからのありがとパーティー」が20日に開催されました。 ガーデニングクラブの活動はメンバーだけではとても進めていくことはできません。夏の水やり、花買いの時の運転など多くの「助っ人」のみなさんにご協力いただいています […]

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ハイムのひろば文芸館
「ハイムのひろば文芸館」オープンのお知らせ!

9月初め「ハイムのひろば」にカテゴリー「文芸散策」を新設することと同時に、文芸作品を収録するためのサイト「ハイムのひろば文芸館」を構築中であることをご連絡いたしました。 ようやく、準備が整いましたので、10月28日のつく […]

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ハイムのHOTな話
中野島駅北口・その後

7月半ば、中野島駅前掲示板の張り紙を見て、北口改札予定地に写真を撮りに行き、記事にしました。 あのとき、北口改札アクセス道路・駐輪場整備工事が10月の何日かまでと書いてあったのに気付いたのですが、いくら何でもそれだけのこ […]

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野口英世
野口英世の遺功を米国に訪ねる(5)

5.ロックフェラー・アーカイブ・センター 英世は、西アフリカのゴールド・コーストのアクラ(現在のガーナの首都)で、黄熱病により亡くなった。 当時、黄熱病での死者は現地で火葬されたり、埋葬されていた。しかし、米国のロックフ […]

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野口英世
野口英世の遺功を米国に訪ねる(4)

4.ウッドローン墓地 野口英世の墓は、ニューヨーク市ブロンクスのウッドローン墓地 (Woodlawn Cemetery) にある。 この墓地は実際に行ってみると、広大で、かつとてもよく手入れのされた美しい場所であった。一 […]

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野口英世
野口英世の遺功を米国に訪ねる(3)

3.ロックフェラー医学研究所と野口英世の評価 約3年間のペンシルベニア大学での勤務、1年間のデンマークへの留学の後、英世はフレクスナーとともに、ニューヨークのロックフェラー医学究所(現ロックフェラー大学)へ移った。 ロッ […]

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野口英世
野口英世の遺功を米国に訪ねる(2)

2.フィラデルフィアとペンシルベニア大学 ニューヨークの空港で、レンタカーを借りる。米国内を旅行するには、航空機とレンタカーの組み合わせが最も効率が良い。今回は、カーナビをオプションとして付けてみると、異国の地でも道に迷 […]

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野口英世
野口英世の遺功を米国に訪ねる(1)

1.アメリカへの道のり 野口英世のアメリカでの活躍ぶりについて書いているうちに、筆者は「英世が過ごした場所を訪れてみたい」と、強く感じるようになった。 2009年5月中旬、次の連載テーマであるジョン・D・ロックフェラーの […]

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野口英世
野口英世とアメリカ(12)

10.人生の不思議 英世の人生を振り返ると、「人間万事塞翁が馬」という言葉が頭をよぎる。彼が、1歳半で火傷をしたことは、大変な悲劇だ。母シカは、一生自分の不注意を責め続けた。「このような左手では、鍬を握れない。百姓はでき […]

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野口英世
野口英世とアメリカ(11)

9. 日本の医学会への反発 もし、英世が日本に止まっていたならば、帝大卒でなく、平民出身であるが故に、十分な研究ができなかったであろうし、また優れた論文を書いたとしても、正当な評価を受けることはなかったであろう。それを英 […]

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野口英世
野口英世とアメリカ(10)

8.アメリカでの評価 英世の伝記には、アメリカでの生活はあまり詳しく書かれていない。彼に関する伝記が多く書かれた時代には、アメリカに調査に行くのが困難であったことが、その理由であろう。 私は、多くの日本人の例からして、ア […]

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野口英世
野口英世とアメリカ(9)

<strong>7.</strong><strong>メリーとの結婚</strong> 1911年4月10日、野口英世は、メリー・ダージスと結婚した。この経緯および、英世の […]

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野口英世
野口英世とアメリカ(8)

6.  ロックフェラーと英世の出会いはなかったのか 英世はロックフェラー医学研究所において、看板研究者的な存在にまで上りつめていた。それだけの実績を生み出していたし、所長のフレクスナーからは、愛弟子として扱われていた。私 […]

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野口英世
野口英世とアメリカ(7)

<strong>5.野口</strong><strong>英世とジョン・ロックフェラー</strong> 英世は1903年秋、念願の欧州留学のチャンスを得る。行き先は、デン […]

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野口英世
野口英世とアメリカ(6)

4.ペンシルベニア大学にもぐりこむ 野口英世は「なんでもしますから、助手として雇ってください」と頼みこむが、フレクスナーは、「そんな約束はしていないし、自分1人で決めることはできない。申し訳ないが、日本に帰ってくれ」と言 […]

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野口英世
野口英世とアメリカ(5)

3.フィラデルフィアへの道のり 野口英世は、1900(明治33)年12月5日、客船アメリカ丸で横浜港から日本を離れた。英世は、3等船客であったが、船内で、駐米日本大使館に赴任する小松緑書記官と親しくなり、1等船客と同等に […]

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