おぼろげ記憶帖

おぼろげ記憶帖
おぼろげ記憶帖 10 関西の言葉

何人かが集まった折、 「出身地はどちら」 と尋ねることがあります。 行ったことのある土地ならその時を思い出して話が弾み、行ったことがなければお聞きして知ることが出来れば楽しいのです。 その時の答えに 「関西です」 との返 […]

続きを読む
おぼろげ記憶帖
おぼろげ記憶帖 09 お喋り会

あちらこちらで女性が何人か集まりお喋り会が始まります。 話題は多方面に飛び広がり、とめどなく、きりなく続きます。情報を交換したり知恵を出したり頂いたり!そうして気分も新たに果てしなき主婦業の家事雑事に戻っていけるのだと思 […]

続きを読む
おぼろげ記憶帖
おぼろげ記憶帖 08 大阪の町

首都圏東京の面積の広さに比べて大阪は日本第二の都市といわれていますがぐっと狭いのです。そのまた中心地というのは南北の地下鉄の駅でせいぜい7つ。すぐに走り抜けてしまいます。 その中心地は南北に御堂筋・堺筋の大通りが突き抜け […]

続きを読む
おぼろげ記憶帖
おぼろげ記憶帖 07 躾

子供の育て方と躾、嫁姑問題、高齢者の介護。 この3つは、余りにもたくさん周りに満ち溢れている問題です。でも正解のないことのようです。 小学生のころ姉弟ケンカをしたのかいたずらをしたのか口答えをしたのかは定かではありません […]

続きを読む
おぼろげ記憶帖
おぼろげ記憶帖 06 いただきます

食事の最初に 「いただきます」、 終わりに 「ごちそうさまでした」 と手を合わせて言います。 なんとたくさんの意味と気持ちのこもった言葉でしょうか。 野菜や果物、魚や肉その他の加工品の数々をつくる人達、流通の人たち。調理 […]

続きを読む
おぼろげ記憶帖
おぼろげ記憶帖 05 堀川

大阪は「水の都」と呼ばれていて網の目のように堀川が巡らされている。江戸時代に大坂の街の発展に伴い淀川デルタ地帯の整地をした。低地の排水と地面のかさ上げ用の土砂の必要から堀川が掘られて舟運に利用された。これはスマホの検索か […]

続きを読む
おぼろげ記憶帖
おぼろげ記憶帖 04 晴れ着(2)

東京オリンピックの翌年(1965年)から4年余りと20年後の平成元年から7年半余りの2度に亘り合計12年を夫の転勤に従いパリで過ごしました。 その間に幸いにもフランス人の結婚披露パーティーに3回招かれました。5・6月の北 […]

続きを読む
おぼろげ記憶帖
おぼろげ記憶帖 03 晴れ着(1)

大阪では数え年13歳の時に嵐山の松尾大社へ「十三まいり」のお参りする風習があります。 小学校6年生。「紐落とし」ともいって子供の着物の肩みやげとからげを解いて大人と同じ着物の着付けにします。子供から大人への儀式なのでしょ […]

続きを読む
おぼろげ記憶帖
おぼろげ記憶帖 02 将来は美容師?

昭和23・24年(1948年)、小学校1・2年生のことです。 その頃は敷地の隣同士の境界は木の塀でした。それに沿ってとうもろこし(なんばと言っていました。南蛮のなまった言葉ではないかと思います)が植えられていました。 空 […]

続きを読む
おぼろげ記憶帖
おぼろげ記憶帖 01 初めての記憶

人として生まれていつ頃、何歳ごろからの記憶が残るのでしょう。 昭和16年(1941年)5月に大阪の堂島の病院で私は生まれました。 大川を渡ると中之島。市庁舎・公会堂・中央図書館・裁判所のある街の真ん中です。この年の12月 […]

続きを読む