佐藤春夫

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館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(37)

奥栄一との交友(一) 春夫に「落第祝福」という一文があります(「婦人公論」昭和2年3月号)。 「恐怖といふものはそれを予想する時に一層大きい。つまり不安である。私は全くその予想的恐怖―不安なしに落第してしまつた。(中略) […]

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館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(36)

館長のつぶやき―「佐藤春夫の少年時代」(36) 「反骨少年」の誕生―3年次での落第 春夫は「詩文半世紀」の中で、「落第に逆効果があって、わたくしは嘘から出たまことのように、本当に文学者になってやるぞという気になって来た。 […]

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館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(35)

初恋の人、大前俊子との出会い(四) 春夫に「猶太(ゆだや)なる大工の子より我が街の瀬戸物屋なるかの子恋しき」(明治43年2月「スバル」)の和歌があるように、これまでは年譜的にも俊子は陶器店の娘とだけ把握されることが多かっ […]

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館長のつぶやき34~佐藤春夫の少年時代(34)

初恋の人、大前俊子との出会い(三) 春夫の両親が熊野病院の3号室への入室を禁止したのは、肺結核の感染を恐れての事でした。最初は肋膜炎であったものが、やがて肺結核に進行したものだろうと、春夫は推測していますが、「忘れ難き人 […]

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館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(33)

初恋の人、大前俊子との出会い(二) 佐藤春夫と小学校以来の同級生で新宮中学へも一緒に通い、春夫の新たに発見された日記にもしばしば登場する玉置徐歩(じょぶ・大石誠之助の兄玉置酉久の3男)は、「佐藤との昔話し」(「熊野誌」1 […]

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館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(32)

初恋の人、大前俊子との出会い(一)  春夫にとって女性に興味を抱き始める思春期―「南国生まれのわたくしははなはだ早熟であった。そうして色情と詩情とはほとんど同時に知った。思うに、この二つは根本では全く同質のものではないだ […]

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館長のつぶやき31~「佐藤春夫の少年時代」(31)

春夫の新宮中学生活あれこれ(続) この(明治38年)10月30日の坊主山(ぼうずやま・現在の王子ヶ浜小辺)に集合した授業ボイコットは、後述する明治42年10月の、新宮町を巻き込んで展開された大々的な新宮中学の同盟休校と比 […]

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館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(29)

新宮中学生の投書熱 春夫より8歳年長で明治17年生まれの和貝彦太郎(号は夕潮)は、明治40年3月に新宮中学を卒業した第2回生ですが(春夫は4回生として入学します)、中学生の投書熱について次のように述べています。和貝は春夫 […]

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館長のつぶやき~28「佐藤春夫の少年時代」(28)

・春夫の新宮中学学生生活から―海外出稼ぎ子弟と通学路探索 春夫の「わんぱく時代」(昭和32年10月から翌年3月まで朝日新聞夕刊に144回に亘って連載・挿絵を和歌山市出身の画家川端龍子が担当)の「遠い学校」の章は「小学校と […]

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館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(27)

春夫入学の頃の新宮中学校―「熊野大学」といわれた ようやく、春夫の新宮中学時代の記述に辿り着いた感です。新宮中学は開校してまだ間もない頃です。 和歌山県立新宮中学校(現新宮高校)が第2中学校分校(田辺)として開校したのは […]

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館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(26)

日本キリスト教新宮教会のこと 春夫が姉とともに通った日曜学校は、「日本キリスト教会新宮教会」のことで、新宮の仲之町にキリスト教会堂を設立、献堂式が挙げられるのは、明治17年6月10日の事です。 大石余平らの努力によって、 […]

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館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(25)

春夫の英語学習とクリスマスのこと 春夫の日記の記述で気になることのひとつに、高等小学校時代、放課で帰宅すると毎日のように英語を学びに通っていることがあります。それはキリスト教会新宮教会であったと思われ、英会話であったのか […]

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館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(24)

・第五回内国博覧会をめぐって ここで、春夫の「日記」の記述に戻ってみれば、和歌山の高等女学校に通っていた姉保子が3月27日に帰省してきて、三輪崎港まで迎えに行っています。3時頃三輪崎に着きましたがなかなか船は入って来ず、 […]

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館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(23)

・日露戦争に鼓舞される少年 春夫の日記によれば、2月9日夕刻号外が届き、「日露開戦我軍大勝利敵艦二隻を撃沈したよ、万歳大勝利」とあります。大勝利が3度繰り返されています。翌10日は3時に学校から帰ると号外があったので見る […]

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館長のつぶやき~佐藤春夫の少年時代(22)

・春夫の高等小学校時代から新宮中学入学へ 明治36年2月11日下本町の男子高等小学校で紀元節恒例の拝賀式が行われていますが、いつもと違うのは、椿和歌山県知事の出席のもと、部長以下各地の学校長も召集されていました。知事の臨 […]

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館長のつぶやき「佐藤春夫の少年時代」(21)

佐藤春夫の小学校時代 春夫の父親の系譜、母親の系譜などを多岐にわたって記述してきたために、なかなか春夫自身の成長する記述に辿り着けませんでした。ようやく小学校時代に辿り着けた感じです。 春夫が新宮尋常小学校(後の丹鶴小学 […]

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館長のつぶやき〜「佐藤春夫の少年時代」74

番外編・春夫の反骨精神の行方 2010年10月11日付の朝日新聞の投書『声』欄に次のような文章が載りました。「浅沼殺害 絶句した佐藤春夫」の見出しです。全文を引いてみます。 「1960年10月12日、私は東京の佐藤春夫邸 […]

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佐藤春夫(2)「わんぱく時代」

前回、帰省した時に姉から一冊の文庫本をもらった。ふるさと新宮市が誇る初代名誉市民の文豪・佐藤春夫著「わんぱく時代」だ。姉は、以前から地元の文化活動などに参加しており、佐藤春夫関連の講習会や勉強会などにはいつも参加している […]

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佐藤春夫(1)望郷詩人

佐藤春夫は、大正時代に新進作家としてデビューして以来、詩、小説、評論、随筆など多くの作品を著し、小説「田園の憂鬱」、詩「殉情詩集」で文壇での地位を確立した。芸術院会員となり、わが国の近代文学界で大きな足跡を残した結果、文 […]

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高く咲く花

住宅地の塀のあちこちにノウゼンカズラの蔓が伸び上がっている。盛夏の頃と比べると、花の数が減り、花の姿に勢いがないが、九月に入っても、やはり草木の中で目立つ花である。この熟れた柿の実の色をした花を見ると、決って「カーキにア […]

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