インスタレーション

インスタレーション

金属の棒で引っかいた跡 そのようなひび割れもすぐに
崩れる 砂だからと呟くのは アランまたはメイ 白く
乾いた 乾かない時は肌色の そう貴方がた東洋の人の
肌の色にちかい砂 では青みを帯びた黄土色ですかと
血色の良くないマヤが不機嫌に言う 不機嫌はお手のも
のだと私は思う どうせ青民を帯びた鬱陶しい顔色です
よ マヤも私も 砂丘は今日は乾いている 引っかいた
線は見えない もう液状の崩れとなって 人の顎の部分
が欠けている アランの子供が描いた線かも知れないと
私は言う アランの子供 そんなのいた? とマヤが聞
く あなたね 大抵の人は人の子の親 アランにも子供
はいるさと誰かが言う 言うばかり 訂正するばかりは
私がメイ いや そうではなかった 黙っていても 誰
かが喋る アランの子供 そうアランのとメイがしゃが
む 足 いや 棒で線を引いたパパの顔 顎が崩れ 歯
が出てくるの 今にね アランの子供の声をして 不定
形のものが動く ずんずん動く 水のように ゆっくり
と あるいは急にぐわっと来る ぐわっと目がね 睨ん
でるの ママのがね 頬の辺りを滑って来た砂の子が
丸い顔を砂の表面に現して立ち上がる 驚いてメイは膝
をつく 声をかける暇なく子供は消える 滑って行く
額の縁 耳の輪郭 溝から突起に 突起から平たい円
に 首の後ろの優しい窪み 貝殻骨 砂に描かれた線で
あった部分に粒状に盛り上がり 立ち上がり 手を口
に ごぼごぼと声を上げる こんなふうに滑っている
よ 砂のある浜辺ではいつも 身体があるって信じてい
るの? マヤは見つめる 私はあっと声を上げる 砂の
子はどこまでも潜っていく おあおあ ビヤン 聞き取
りにくい小さな声で 不定型の動きは誘う 崩れて見え
ない元の傷痕 パパの顔 ママの胸という痛い徴 アラ
ンが言う 乾いていない時はもっと素敵だ マヤにミナ
コ 僕たちがなくした砂の子の走りはね

荻悦子(おぎ・えつこ)
1948年、新宮市熊野川町生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。作品集に『時の娘』(七月堂/1983年)、『前夜祭』(林道舎/1986年)、『迷彩』(花神社/1990年)、『流体』(思潮社/1997年)、『影と水音』(思潮社/2012年)、横浜詩人会賞選考委員(2012年、16年)、現在、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会会員。三田文学会会員。神奈川県在住。

【編集後記】現在、「ハイムのひろば美術館」で特設展としてインスタレーション「もりもと・たかしの作品」を展示してます。文芸館には、荻悦子さんの詩を定期的に紹介していたところ、彼女の詩に「インスタレーション」と題したものがありましたので、本日紹介しました。数ある芸術作品のジャンルの中で、偶然とはいえ、それほど一般的ではないと思われるインスタレーションに関わる作品がここで出会ったことに不思議な縁を感じます。

ただ、それほど馴染みのある分野ではないこともあり、編集者自身も読んでみてよくわからないものがあったので、作者にインタビューしてみました。

「この詩は、私のイマジネーションで書きました。いわば心象風景でしょうか。インスタレーションはその場で即席に造っていく造形美術かと存じますが、私のは想像上の形、動きです。材料は、海の砂と波、人々。砂を棒で掘ったり、線を描いたりすることや人々の会話がヒントにはなっております。」

とのことでした。(八咫烏)


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