天才と凡人~中川牧三 ―近代日本の西洋音楽の歴史を創った人物~10

例えば、先生のお宅に注文楽譜(一冊)を届けに来られたのは、有名な京都十字屋の会長でそのままお部屋で先生と雑談(私も同席)。

また先生がお電話中にくしゃみをされると、30分後位に「近くを通りましたので」とその電話の相手、阪大医学部教授が風邪薬を持って来訪。そのままお部屋で雑談、中川先生の奥様の手料理で食事(私も同席)を共にされた。

先生はご親友松下幸之助氏亡き後も松下電器(当時ナショナルか)の音楽顧問をされていて、私も松下電器中央研究所合唱団の指揮者の方への発声指導を先生から依頼された(杉本知瑛子ピアノ声楽研究所にて数回の指導)。

(元)慶應全国連合三田会会長の服部禮次郎氏は中川先生のご依頼で急遽「慶友三田会」の創立祝賀会(私が久しぶりにオペラのアリアとリートを歌うと先生に連絡したためか)に来賓としてご出席された。古くからのご親友である中川先生からの依頼であった、と服部会長から伺ったのはそれから4年後であった。

中川先生のところでいろいろな難題が生じるたびに、先生のご友人方が何も頼まれなくても先生を100%信じて解決のため動かれることもあった。

先生は日本の大学を卒業されておられないので、日本での音楽家の派閥をはじめ人脈(大学同窓会での人脈・派閥)は無いに等しいはずである。

「私は日本の音楽学校出身ではありませんから、一人の相談相手も、味方もいなかったんです。まったく一人ですから、正直言って、煙たがられることもありましたよ。」と述懐されている(『101歳の人生をきく』より)。

何も言われたことはないが、さぞ心細い思いや悔しい思いをされてきたことであったろうと思う。(次号へ続く)

杉本知瑛子

大阪芸術大学演奏科(声楽)、慶應義塾大学文学部美学(音楽)卒業。中川牧三(日本イタリア協会会長、関西日本イタリア音楽協会会長))、森敏孝(東京二期会所属テノール歌手、武蔵野音大勤務)、五十嵐喜芳(大芸大教授:イタリアオペラ担当)、大橋国一(大芸大教授:ドイツリート担当)に師事。また著名な海外音楽家のレッスンを受ける。NHK(FM)放送「夕べのリサイタル」、「マリオ・デル・モナコ追悼演奏会」、他多くのコンサートに出演。


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