天才と凡人 ~中川牧三―近代日本の西洋音楽の歴史を創った人物~その5

一般人(凡人)にとって非常に困難なことを容易に出来る能力を天性として持っている人を天才というのなら、福澤先生も中川先生も正しく天才といえる。

今回は日本では一般に余り知られていない中川牧三先生について、先生の存在で日本の音楽の歴史がどのような変化・発展を遂げたかを検証してみようと思う。

中川先生は「これも勉強した、あれも勉強した」とは決して仰らなかった。

最初レッスンに伺った京都のお宅はレッスン室以外にもお部屋がたくさんあり、レッスン室だけでは先生のご勉学の形跡を伺うことはできなかった。数年後にレッスン場所として移られた芦屋のお宅は、後に先生の奥様となられる方のご実家でもあり、実際に先生が常に目にしておられた書物を見ることができたのは、その後近くの芦屋のマンションに移られてからである。

マンションなのでレッスン室の隣の部屋が書斎となっていて書棚がある。

喜んで初めてその部屋を覗いた時には正直驚いた。楽譜も含めて音楽の本は極わずかで、イタリアの気候風土や歴史の本など以外は最近出版されたオペラ歌手の自伝など日本語の本ばかり・・・

(後で教えて頂いたのだが、引越しの度に古い書物は処分されそれでも必要な書物はマンションの地下室を借り、書庫としてご使用されていたとのこと;その地下の書庫は水害にあい貴重な資料と共に全書物も消滅の憂き目に・・・)

それで先生の深い知識経験はレッスン後の“雑談”からでしか窺い知ることができないと思い知らされたのである。(次号へ続く)

杉本知瑛子

大阪芸術大学演奏科(声楽)、慶應義塾大学文学部美学(音楽)卒業。中川牧三(日本イタリア協会会長、関西日本イタリア音楽協会会長))、森敏孝(東京二期会所属テノール歌手、武蔵野音大勤務)、五十嵐喜芳(大芸大教授:イタリアオペラ担当)、大橋国一(大芸大教授:ドイツリート担当)に師事。また著名な海外音楽家のレッスンを受ける。NHK(FM)放送「夕べのリサイタル」、「マリオ・デル・モナコ追悼演奏会」、他多くのコンサートに出演。

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