「北米大陸横断道路ルート66単独ドライブ」1

「北米大陸横断道路ルート66単独ドライブ」 2010年(11年前)夏の思い出  

 1948年生まれの私が小学生の頃(65年程前)、日本の茶の間にテレビがやって来た。力道山のプロレス、1800万円の巨額契約金で巨人に入団した長嶋茂雄のプロ野球、そして1958年から毎日放映されたNHKの連続ドラマ「バス通り裏」は、全てスタジオからの生放送だった。

 そんな中、数多くのアメリカTVドラマが日本に押し寄せた。未知の外国、中でもアメリカはその象徴であり、TVドラマで知る文化や生活ぶり全てが私の憧れとなった。
 私が小学校の給食で脱脂粉乳を飲んでいた頃、アメリカのTVドラマでは子供が冷蔵庫を開け、大きな牛乳ボトルを口に押し当ててミルクをがぶ飲みする風景を見せられ、なんという国なんだ、と嫉妬を感じた時代でもあった。

 名犬ラッシィ、罠にかかったパパとママ、スーパーマン、ララミー牧場、ローハイド、サンセット77、逃亡者、ちびっこギャング、アンタッチャブル、コルト45、ベンケーシー、いくらでも思い出す米国TVタイトル。

 そして1962年(私が高2)にTVロードムービー「ルート66」が始まった。大学を卒業したバズとトッドの二人が、1957年製のシボレー・コルベットのコンバーチブル(オープンカー)を蹴って、シカゴからLAまでの約2000マイルを旅する物語だ。

If you ever plan to motor west
Travel my way , take the highway that is best
Get your kicks on Route sixty-six

 セントルイス、オクラホマシティ、テキサス、ニューメキシコ、アリゾナ等、行く先々の町でのエピソードは、アメリカに憧れていた私に、自由な価値観や行動力を教えた。
 私は毎回そのストーリーに同乗し、一緒に旅をしてアメリカ文化を必死で吸収した。

 その影響で大学受験浪人中、東京から北海道へ一人で40日間、全てヒッチハイクで往復し、日高の牧場でバイトしたり沢山の人々にお世話になった。
 さらに1971年(大学2年)には、五木寛之の小説「さらばモスクワ愚連隊」や「青年は荒野をめざす」、フルブライトの奨学金を得て世界を旅した小田実の「何でも見てやろう」、等の刺激を受けて、一人で横浜からソ連船バイカル号でナホトカへ渡り、シベリア経由で欧州に入り、2ヶ月間のバックパッカーを経験した。
 その後も、日本全国、中国シルクロードなど、70歳を過ぎた今でも毎年夏は1ヶ月間、国内海外を単独ツーリングしている。気取った言い方だが「自由なひとり旅は男のロマンだ。」

 TVドラマ「ルート66」は、主人公のジョージマハリスが歌う主題歌と共に全世界の超人気番組となり、この道はそのファン達にとって一生に一度は走りたい憧れのヒィストリックロードとなった。

~つづく~

東賢太郎(現在73才、当時62歳)

 

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