アルビジョア十字軍とカタリ派の里=観光案内にない観光地

フランスの駐在時代は仕事に関係するところにしか出向かないし、仕事が終われば直行でパリに帰るのが普通です。駐在が終わり日本に帰国後3年、改めてフランスの田舎巡りをしようという事で出掛けました。久しぶりにパリの友人に会い、友人から是非紹介したいところと耳にしたのが掲題のカタリ派の里です。簡単に話を聞いたのですが、丁度「神がそれを望んでいる」すなわち聖戦として十字軍が中東に出向いていた時代、ローマ教皇の地元ともいうべき北イタリヤから南仏一帯に同じキリスト教でもローマ教皇に従わない異教派、通称「カタリ派」が存在した。カタリはギリシャ語を語源とすると言われるもので清貧・禁欲に生きることを意味するらしい。いわば当時のローマ教皇のやり方に背を向けたと言えそうです。(私の友人は当時のローマのやり方を批判してカタリ派に賛意していたのを思い出します。)

アルビジョワ十字軍のアルビジョワですがフランス南西部にある田舎町“アルビ”からきています。北イタリヤ・南仏がローマの圧力に屈して行きますが、このアルビを中心に地方の豪族も参加して執拗な抵抗がありました。そこでローマ教皇がアルビ地方のカタリ派打倒のために十字軍を呼び掛けたという次第です。これがアルビジョワ十字軍です。それには社会的背景があり北フランスなどの王国が領土拡大の機会ととらえてこの呼びかけに参加したという事です。1209年スタートして1229年までの20年間の抵抗でカタリ派は一応消えますが、それでもアルビの北約20㎞のコルドの要塞都市に立てこもるなど抵抗します。異端探しがその後も続き、異端審問による徹底的な追及で改信すれば一応許されるとしても最後まで抵抗して火あぶりの刑にされるまで信念を貫いたものもいたと言う。そして1260年頃にようやく終結したとのこと。

時代が古く痕跡を探しても多くは見当たりません。まずアルビではロートレックの美術館(古い宮殿)や、サント・セシル大聖堂などの旧市街(後に世界遺産に)を見学、次の町コルド(“Corde au Ciel” 天空のコルド)に向かいました。成程ローマに抵抗する人たちが追及を逃れて立て籠もった街と言われる環境でした。時代も古く確たる痕跡はないものの当時を偲ぶには十分な雰囲気でした。逗留したホテルも古く、ひょっとしたら当時のものかと思わせる建物とその作り、更には街の雰囲気(写真はすべてコルドで私のアルバムからです)にすっかり魅了された次第です。


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