福澤諭吉と教育ベンチャー

2012年12月15日、福澤研究センター講座、「『福翁自伝』を多角的に読む」(第3回)を受講した。

講師 四天王寺大学 曽野洋教授
テーマ 「福澤諭吉と教育ベンチャー」

講義では福澤諭吉を教育ベンチャーの担い手として捉えた視点が新鮮であった。

これに関連して、福翁自伝の記述において自分を「西洋流の一手販売のエゼント(エージェントのこと)」と任じていたことが講義で指摘された。

以下は福翁自伝から福澤の論点を辿ってみる(アンダーラインは筆者)。

○「畢竟(ひっきょう)私がこの日本に洋学を盛んにして、如何でもして西洋流の文明富強国にしたいという熱心で、その趣は慶応義塾を西洋文明の案内者にして、あたかも東道の主人となり、西洋流の一手販売、特別エゼントとでもいうような役を務めて、外国人に頼まれもせぬことをやっていたから、古風な頑固な日本人に嫌われたのも無理はない。」

○さらに、そのときの「私の教育主義は自然の原則に重きを置いて、数と理とこの二つのものを本にして、人間万事有形の経営はすべてソレカラ割り出して行きたい。また一方の道徳論においては、人生を万物中の至尊至霊のものなりと認め、自尊自重いやしくも卑劣なことはできない。不品行なことはできない。不仁不義不忠不幸ソンナあさましいことは、だれに頼まれても何事に切迫してもできないと、一身を高等至極にし、いわゆる独立の点に安心するようにしたいものだと、まず土台を定め」た。

○「ソコデ東洋の儒教主義と西洋の文明主義を比較してみるに、東洋になきものは、有形において数理学と、無形において独立心と、この二点である。」これなしには「さしむき国を開いて西洋諸強国と肩を並べることはできそうにもない。まったく漢学教育の罪であると深く自ら信じて、資本もない不完全な私塾に専門科を設けるなどとても及ばぬことながら、出来る限りは教理を本にして教育の方針を定め、一方には独立論の主義を唱えて、朝夕一寸した話の端にもその必要を語り、或いは演説に説き、或いは筆記に記しなどしてその方針を導き、また自分にもさまざま工夫して励行実践を勉め」るとして、慶應義塾においては、数理学と一方においては独立主義を教育方針としたといっている。

福澤はこのように数理と独立を教育の新機軸に据えた。その慧眼にはまさに目を見張るものがある。この背景には、徳川幕藩体制から明治立憲君主制へと移行する時代において、「恰も一身にして二生世を経るが如き時代」に自分がいると捉え、その二つの時代を経て形成された彼の精神の在り様があったと思われる。

例えば、封建時代における牢固たる門閥制度を「親の敵(かたき)」と憎んでいた。幕末に至って日本の政府が勤王派と佐幕派に分かれ争っているとき、彼の態度は泰然自若として、どの派にも与しないものだった。

福澤は言う。「第一、私は幕府の門閥圧制鎖国主義がごくごくきらいでこれに力を尽くす気はない。第二、さればとてかの勤王家という一類を見れば幕府よりなおいっそうはなはだしい攘夷論で、こんな乱暴者を助ける気はもとよりない。」と述べている。

慶応33年(1867)大政奉還、翌年の鳥羽伏見の戦いから江戸城明渡しという時節には、官軍、賊軍どちらに向かっても中立的態度を保持した。おそらく攘夷論が無謀であることを見抜いていたからだろう。

福澤は、蘭学を手始めに学び、20歳で大阪の緒方洪庵の適塾に入門後めきめきと頭角を現し、若くしてその塾長となり幅広い分野の原書を読んだ。その後蘭学から英学に転向、25歳で咸臨丸に乗って渡米、26歳で遣欧使節翻訳方として渡欧した。欧州各国を経て1862年に帰朝、32歳のとき、再び幕府の軍艦受け取り随員として渡米し東部諸州を回った。このような学習と体験の遍歴によって西洋事情に通じていたのである。

この福澤の態度、精神について、思想家の内田樹氏がこう評している。

「福澤諭吉は彰義隊のいくさで大江戸八百八町が浮足立っているとき、なに上野から二里も離れていれば鉄砲玉の飛んでくる気遣いはないと、英書で経済学の講義をしていた。徳川の学校はすでに潰れ、新政府は戦争に忙しくて教育まで手が回らない。『日本国中いやしくも書を読んでいるところはただ慶應義塾ばかり』と言い切る福翁の自慢顔が誠に頼もしい」(本講座の資料から)。

この稿を閉じるにあたり、自分がどのように触発されなにを考えたかその一端を記しておきたい。

○福澤は時代の変化を読み取った上で、歴史を先取りした教育ベンチャーを興した。

○そのベンチャー精神は、新しく先進的なものにチャレンジすることであり、そのチャレンジャーは真の意味で独立した存在でなければならないこと。

○教育ベンチャー組織が発展した場合には、当初の理念、スピリットを脈々と伝え、教え教えられることを継承し、継続的事業(ゴーイングコンサーン、Going Concern)として存続していかなければならない。

 

風戸 俊城

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