追憶のオランダ(54)ホテルオークラにお世話になった話

日本にいると、筆者のような一般庶民は日本一流のホテルには何か特別な目的、例えば誰かの結婚式があるとか海外からの来客が宿泊しているとか、そんな時に利用するくらいしかない。それは今でも変わっていない。しかし、不思議なことに、オランダで生活していた時にはホテルオークラが非常に身近な存在になっていたのだ。何かあっても、そこは日本だという妙な安心感と親近感があったことは事実。働いている従業員の大部分はオランダ人だが、そこは変なものである。オランダ人だけの世界にいるという感覚が薄れていた。

一番よく利用させてもらったのは、日本食のレストラン「山里」。本物の、しかも一流の日本食が楽しめる。値段は少しくらい高くてもその誘惑には勝てない。したがって、ロッテルダムから片道75km車を飛ばして家族で月に一度はオークラへ行って好きなものを食べることにしていた。アムステルダムで住む日本人は恵まれているなあ、と思いながら。食事の時には当然のように酒も飲んだが、帰りの車の運転は別に問題なかった。もちろん、運転できなくなる程は飲まない。

それと、ホテルの地下にある日本の本屋には必ず立ち寄ったものだ。価格は大体定価の3倍くらいしたが、これも日本語の活字に飢えていることもあって、高いとも思わなくなって、行けば何冊かまとめ買いをしたものだ。そして、そこにはYAMAという日本食材屋もあり、賞味期限切れ寸前、あるいは完全に切れているもの、そんなのお構いなしで、目ぼしいものはこの際と買い入れるのがお定まりのコースだ。ここでも誘惑の方が財布に対して完全勝利することになる。女房、子供もそれぞれ似た行動をする。

さらに言えば、私はそれ以外にも一人でアムステルダムまでアンティークタイルを探しに骨董屋巡りに出かけたり、美術館巡りをしたりしていたが、その時非常に重宝するのがホテルオークラの駐車場だった。街なか深くにまでは入らず、そこに車を止め、市内はもっぱらトラムで移動する。慣れぬ市内に車を乗り入れるのはなかなか難しいものだ。一方通行が多く行きたい場所を探し探して近くまで行けても近辺に駐車場がなく、今度は駐車場所を探すことになる。扇状に何重にもなった運河沿いの一方通行を走る間に方向感覚を完全に失ってしまい、結局随分遠いところに止めて歩かざるを得ないという失敗も何度かした。そのあと、オークラの駐車場+トラムというP+R(パーク&ライド)に落ち着いたもの。その時も本か何か買い物もしたので、駐車代はゼロ。

ほんとうに、ホテルオークラさん、お世話になりました。でも、残念ながら宿泊だけはする機会がありませんでしたね。

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です