森本剛史君との思い出12~社会人時代・熊野エキスプレス編

森本剛史君は、かつて、熊野人・新宮人に向けてメールマガジン「熊野エキスプレス」を発行していました。ご存知の方も多いと思いますが、ご存知ない方のためにほんの一部をここに紹介したいと思います。

私が運営するウェブサイト「熊野エクスプレス」で、今後新企画として紹介する予定の「我がらの新宮弁講座」講師・城和生さん、同じく新企画「その時、熊野は動いた」の作家・新宮正春さんなど多彩な方々の投稿も出てきます。
ー---------
限定80部(転載可)年末特別企画号「収穫祭」2003年12月29日
■熊野エクスプレスは東京発の不定期メールマガジンです。「シングタンク21」という熊野出身のマスコミ人グループが中心になり、新宮出身のライター森本剛史が独断で誌面を編集しています。熊野の話を真ん中において、東京→熊野、熊野→東京、世界→熊野、熊野→世界のコミュニケーションができたらいいなと考えています。なお、編集部に送られてきたメールは無断で掲載しますので、よろしく。
編集長 森本剛史
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
■□ーーーーーーーもくじーーーーーーーーーー■□
☆★ 1. 編集長の独り言
☆★ 2.「今年の収穫」←読者ワイワイ18名が参加←豪華版!
☆★ 3. 我がらの新宮弁講座16 付録
☆★ 4. 風流人まもやんの「熊野上流階級の生活と意見」 Kumano
Letter ←←新連載
■□ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー■□
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
□■1.編集長の独り言 ■□
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
▼熊エプ21号を発行した後、ふと「今年の収穫」というキーワードが浮かびました。そや、それで特別号を作ったろと、さっそく皆さんに「緊急依頼」ということでメールを出した次第です。僕の「今年の収穫」は、熊エプを発行して面白い人と知りあったり、ネットが広まったこと。2番目は、友人の西クンのおかげで念願のHPを立ち上げることができたこと。3番目にデジカメを購入して仕事で使い始めたことかな。なんと言ってもやはり7月のHPの立ち上げが「大収穫」でしたね。今年は、僕にとって「ネット元年」でした。おかげさまで、HPへのアクセス数が1万を超えました。パチパチ。まだ訪問してくれてない方、ぜひアクセスしてください。http://ryokodo.blog.jp/(※当時のサーバーから移転済)

▼友人のデザイナーの電話で知ったのだけれど、12月上旬のJ―WAVE(FM放送)のジョン・カピラの番組で、我が旅好堂のHPを取り上げてくれたそうだ。アジアに強い、旅本のオンライン古本屋と紹介。今のところPRの効果はまだ出ていませんけど。ありがたいことです。

▼暮れも押し迫った27日と28日、神奈川県津久井湖の近くの川のそばで、恒例の耐寒キャンプを敢行しました。東京のお燈祭仲間との忘年会で、50を超えたおとっつあんの酒飲み会。今年で8回目。あいにく前日が雪で、雪面の上にテントを張りました。焚き火を囲んで鍋料理、ビール、日本酒、泡盛、ウィスキーで盛りあがりました。仲間の口琴(アイヌのムックリ)の演奏会などもあり楽しかったです。が、狭いテントの中に体を横たえてていると、雪の冷たさが背中を覆い、寝るどころではなかった。

▼読者の前久保大兄からメールをいただきました。前文を掲載します。
編集長さま
いつも楽しいいマガジンをありがとうございます。送っていただきますと、ただちに3部をプリントしまして、弟、妹、母に郵送しております。「熊野エクスプレス」はわたしたち一族に、郷愁と癒しと、熊野人としての誇りと生きる力を与えてくれて
います。今では、バイブル的な存在になっております。厚くお礼を申し上げます。このたびは何かを書かせていただこうと思っておりましたが、仕事が忙しくてパソコンの前に座る暇がありませんでした。お許しください。恐らく私以上にお忙しいい方々が寄稿されて、編集されて、このようなムチャクチャに面白いマガジンが発行されているはずです。それなのに私は・・・・自責の念にかられております。これに懲りませずに、どうか来年もよろしくお願い致します。
どうか良い年をお迎えください。
前久保和也

▼今年もいろいろとありがとうございました。途中ちょいと発行ができませんでしたが、マ、許してください。今後ともよろしくお願いいたします。「今年の収穫」は18本も原稿が集まりました。謝謝深謝。よいお年をお迎えください。来年もよろしく。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
□■2 年末特別企画 「今年の収穫」■□
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「今年の収穫」を送ってくれぃ!とみなさんにメールを出したら、わずか15分後に今西兄から返事がありました。その後小竹さんから、新宮さん、青野さんからも・・・。謝謝深謝。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●小竹正美さん/元アルプス電気北京支店長。熊エプ・元北京特派員。
(1) 38年間の会社生活にサヨナラして自由になったこと。職業欄に「無職」と書く快感!
(2) 初めて自費出版したこと。送料、宅急便が郵便局より45%安く、あらためて郵政民営化に大賛成。
(3) 新宮高校同期の悪友6人で熊野古道を歩いたこと。霊気を感じながら熊野の神々に御加護を感謝。
熊野万歳!
(↑今年はいい1年だったみたいですね。無職ならぬ「無食」になりませぬことを!)

●今西 主さん/日本デザインセンター、博報堂、オリベッティなどでコピーライターとして活躍。今年、何でか知らんが郷里の熊野川上流九重へUターン。「ワン・アンド・オンリー・クラブ」という、ゴルフクラブを九重に作ったこと。家の前、草刈り場の、ワンホールだけのミニコース。緩やかな丘に、穴を掘ってフラッグを立てただけのパー3。30ヤード位で、パターは使わない。
(↑おしゃれやのう。熊野川上流階級の社交場にならんこと祈っています。クラブのブレザーに付けるエンブレムのデザインは、九重名物の「鮎のなれ鮨と九重茶」をデザインしたものなど如何?今度、シングルプレーヤーの、かず坊を誘って行きたいもんです。ところで、クラブ会員権はハウマッチ?)

●新宮正春さん/作家、熊エプ執筆陣。元報知新聞巨人軍キャップとして有名。長島元監督の「影の仲人」として知られている。夫人は水墨画家。

大当たりの年でした。医者と「腹を割って」話ができた夏で、こんなことは初体験。貴重なベッド暮らしとなりました。看護婦さんはすべて美人揃い。小生、縦じまのパジャマを愛用していましたが、看護婦さんにはチェックに見えたかも。小生のヨコシマな心と重なって。ところで、我が子のように可愛がっていたプレイリードッグのサスケが、小生の手術のちょうど一月前に、
まるで身代わりのように天国に召されました。いまだに家のあちこちに残る彼の歯型を見て、家内はよよと泣き崩れています。なかには仕事に詰まって歯噛みした小生のがあるとも知らず。(↑その後お体の具合はどうでしょう? 今年は新宮さんにとって「ベッド」と「ペット」の1年だったんですね。看護婦はどうしてみな美人に見えるのでしょう?)

●城かず坊/ご存知、熊エプの人気コラム「我がらの新宮弁」の執筆者。熊野アサブラ同好会平日会員。後述の「我がらの新宮弁講座」と合わせて堪能して。

収穫・その1
新宮弁講師をハッている私としましては、やはり「方言の大海」にハマってしまったことが、一番の収穫です。熊野川沿いに育ちましたが、ごくごく地元の言葉と思っていたものが、熊野川沿いものかは、奥熊野から高野龍神、畿内を経て中国・四国・九州のみならず、岐阜・長野・伊豆諸島から佐渡に至るまで「全国展開」を見せていたことを発見してビックリ。以下の如くです。

かず坊の「方言トリビア・ベストテン」
1・「げー」と「くろにえる」が新宮と岐阜に(だけ)ある。
2・あいぶ(歩く)が伊豆諸島、伊豆半島にもあった。
3・うめる(風呂の湯をうすめる)と信州でも言う。長崎、福岡、広島では「うべる」、島根では「おべる」
という。
4・がらんぼ(河童)と似た、「がらっぱ」(河童)が鹿児島にあった。
5・佐渡でも「行ってくらんし」、「あののー」と言う。
6・伊豆諸島でも「売ってぇー」と言って、お店に入って行く。
7・おっさん(和尚さん)と静岡、鳥取でも言う。
8・たつ(戸を閉める)が山口・高知・徳島・静岡・茨城にもある。
9・おどろく(目が覚める)と広島、徳島でも言う。
10・きびしょ(急須)は全国的にあり、くちなわ(へび)も西日本全域にあるというのに熊野にはない。
(↑へえぇ、へえぇ、へえぇ!)

収穫・その2
少年野球の教え子が甲子園で4番!(わずか1年の在籍でしたが)。野球関係者にとって、「甲子園」は憧れの大ブランド。エルメスより上を行き、プロ野球より上を行く。しかも4番ですゾ!松井の「ヤンキースの4番」より嬉しかった(埼玉・聖望学園でした)。

収穫・その3
グフッ、ワイや、かず坊や。清原やないデ(急に大阪弁)。あんナー、「なれずし」造ったんや。家の周りに「しくしゃ(山しょうが)」ようけできてナ。こら、なんどせなアカン思て、やったんや。ほいで、食べてみたらヨー(急に新宮弁)。うまいんヤゲ、これが。イケるんやだヨ。これが、一番の収穫かも。

●河野和憲さん/彩流社編集部勤務。串本高校から桐蔭高校へ。野球部で活躍(?)
今年の収穫は以下のごとしです。
下北沢・白樺書院の外の書棚で、草森紳一「女の魅力百景色① しぐさについて」(ワニ文庫、1990)を、80円で入手したこと。小生、草森さんのものは棚で見つけた際には、例外なく購入するのですが、いわゆる上製本ではなく文庫の草森さんのものを手に入れたのは今回が初めてでした。雑誌「男子専科」と「タイフーン」に掲載していたエッセイをまとめたものですが、カバージャケットと本文には、あの「湯村タラ」のイラストが採用されており、マニア垂涎モノであります。マチガイない!
[次点]子母澤寛「新選組異聞」(中公文庫)を200円でゲット。子母澤さんの聞き書きの手管に脱帽です!(こんどは子母澤さんの「愛猿記」を手に入れたい!2004年は申年。小生も申年ですからね。)こんなのでよろしいでしょうか?どうぞよろしくお願いします。
(↑ラッコよ、大事なこと忘れてないかい? 君たちの結婚、結婚式だよ!)

●大下勝巳さん/日本広報協会理事。「おやじの会」世話人として講演で全国を回っている。
■今年の収穫
熊野古道を歩いた
1年遅れの還暦記念に熊野古道を歩いた。まず7月に、新高12回卒の同期6人で瀧尻王子から本宮大社まで中辺路約40キロを1泊2日で。次いで11月、大門坂から那智高原、大雲取越・小雲取越を通って請川の手前5キロの「百間ぐら」まで、およそ25キロを1日半で。合わせて65キロ歩いた。中辺路では土砂降りの雨と雷の歓迎を受けた。川と化した道(多少誇張ぎみ)を全身ずぶぬれで進んだ。継桜王子のそばにある、とがの木茶屋で一泊。翌朝、囲炉裏を囲んで食べた茶がゆがおいしかった。7時半出発。ほぼ10時間歩いて夕方5時過ぎに本宮大社に到着。

雲取越は、新高22回卒・山岳部OBの尾屋勲さんとの二人旅。実は、独りでは道程に自信がなかったので尾屋さんに頼んで一緒に歩いてもらった。ところが予期せぬことに脚にきた。小口から桜峠への上り坂で、大腿部がつって歩けなくなり、うずくまってしまった。越前峠から一気に800メートル下ってホッとしたのも束の間、こんどは4キロの行程で400メートル上る。

この急坂でバテた。丹沢で鍛えた脚もいうことをきかない。まずい、と一瞬不安にかられたが、そこは尾屋さん。手渡してくれた沖縄産の黒砂糖をほうばり、休憩。屈伸運動をすること約数分。なんとか歩けるようになって事無きを得た。「百間ぐら」から見る熊野の山々・果無し山脈はモヤの中にかすんでいた。私にとって古道は、中学時代にお燈祭りの上り子になって以来の劇的な熊野体験だった。
【注】尾屋勲さんは(有)森の国の代表で、佐野在住。東京からUターン後、無農薬の米づくりや木工を手がける一方、平成14年に自然農法、熊野古道ウォーク、沢登りなどが体験できる自然学校「熊野の自然体験スクール」を設立。URLは下記の尾屋さんの文を読んでください。
(↑大下大兄、忙しいのに)2回も熊野古道を歩くとは元気やね。新宮高校同窓会の講演も評判が
よかったですよ)

●尾屋勲さん/新宮市佐野で百姓兼木工製作兼熊野古道ガイドをやっている。熊野自然体験スクールを開校し、ハイキング、山登り、木工、農業などの指導をしている。TEL&FAX:0735-31-5755。熊野アサブラ愛好会会員

今年の収穫というと、まず第一に百姓ですから米作りでしてまだ17回目ですがとにかく今年は雨ばかりで、以前にもこうゆう年がありましたが。虫(稲ツト虫)と病気(穂いもち病)が出まして病気は天候回復を待つしかないのでオテントウさんまかせなのですが、虫は田の草取りの時に手でつぶしましたが、とにかくきりがない。だいぶん殺生をしました。閻魔大王に殺虫罪で、地獄に落とされるのでは。キンチョールの社長よりましで、湯の峰に行かんしと言ってくれるでしょうか?収穫は昨年は豊作でして今年は前年比7割くらいでした。一年食えるので、まあいいかと言うより まだ昨年のお米食べてます。

もう一つど素人が、熊野に修学旅行誘致等のお客さんを呼ぼうと自然学校を始めましたが、なかなか上手くいきません。ただ今年は人とのつながりができ、まったくの夢物語が少し現実味を帯びてきました。とにかく動くことだと思っています。
(↑熊エプ愛読者も微力ながら協力しますよ)

●上野一夫さん/古座在住。熊野の日本狼について、ちとうるさい。熊野アサブラ愛好会会員。

今年の収穫は、飼育していた「オオカミ犬」・・アラスカオオカミ94%が亡くなった件がきっかけで、オオカミ犬「バルト」の追悼をこめて書き上げた「熊野の日本狼」を南紀州新聞に掲載してもらったことです。・・・自分勝手に売り込んだから。
熊野地方に伝わる日本狼の話しを、まとめた長編物だったのですが・・・。

新宮・熊野川の奧の人で日本狼に関する話しを知っている方、ささいな事でもいいから教えてください。大作・・・?「熊野の日本狼」の冊子をお送りします。「あさぶら」を「げたばこ」にしまって夏が来るのを待ちます。
(↑上野大兄、来年「熊野の日本狼」を連載しようかいのう?)

●大川由華さん/新宮で高校時代を送る。「東京で生まれ、新潟→埼玉→長野→宮城→新宮→埼玉と渡り歩いています」とは本人の弁。(前号で宮城県出身と間違えて書いてごめん。正真正銘の東京都出身です)現在、フリーの編集者。主に学研を舞台に活躍。

風邪で寝込んでいるところで、ちょうど先日申し込んだなれ鮨が届きました。思ったより、くせが少なくて少し肩透かし。編集長はどこのお店がお勧めでしょう?
(↑オイラ、なれ鮨はだめなんです。かず坊は自分で作れるほど詳しいですよ)

ところで、「今年の収穫」ですが。
1. 何といっても、師走に入ってから熊エプ(シングタンク21)の存在を知ったことですかね。正直、あ~んな辺鄙なところから(失礼!)こ~んなにすばらしい先輩方が出ていただなんて驚きでした!(←それは認識が甘い!新宮と江戸は黒潮ハイウエィで結ばれていたんです。東京で活躍している熊野人、いっぱいいまっせ)。

東京方面に進学する友だちがあまりいなかったこともあり、新高卒業後はあまり新宮と縁のない生活でした(昔から新宮高校は東京の大学に行く卒業生が多かった。熊エプ執筆人の僕も、かず坊、青木さん、新宮さん、今西さん、和賀さん、和田久士さんも、ついでに俺の妹・弟も東京の大学で学びました)

高校を出て10年以上経った今になって再び、熊野の人々に接するだなんて。といっても、まだまだ会ったことのない方々なので、どんなに素敵なおじさまなのかとても楽しみにしています。
(←みんな50を超えたジミなおとっつあんです!)

2. あとは、鍋でご飯の炊き方をほぼマスターしたことです。
今年はまわりに結婚する人が多く(←あんたは、どうなん?)、結婚祝に欲しいもののナンバーワンは「ル・クルーゼ」というフランス製の鍋。いろいろ調べるうちに、これはかなり秀逸なものらしく、ローストビーフからご飯炊きまで、炒めもの以外ならなんでもOKなんだそう。

それが9月からユーロ高の影響で値上がりするというので、結婚の予定も特にないから自分で買ってみました(同情しないように)。ガスレンジに載せて早速挑戦。これがウマ-でした。以来、時間のあるときはガスでご飯を炊いています。
(↑今度、食べたいもんやね)

3. オーストラリアの入国審査でスーツケースをガサ入れされた。
2月に初めてオーストラリアに行きました。オーストラリア人の友だちや、オーストラリア経験者から、入国時の検疫がすご~く厳しいよ~、としつこく脅されていたので、ちゃんと申告するものは申告用にまとめて入れておいたんです。
それなのに、スーツケースをX線で見たおっさんが「スーツケース開けろ(もちろん英語、以下同)」と言うのです。

えー、スーツケースの中には何にも無いはずなのに、と少しむっとして開けてやりました。「キャンディー持っているだろ」とおっさんは言いますが、ガムは食べてもアメはなめない私。化粧品のバッグの中まで調べてましたけれど、何にも見つからない。 当たり前じゃん。持って無いもん。

でも、ふと「もしや」と心当たりのものがありました。それは、おみやげ用として絶対活躍すると思い、いつもスーツケースの中に入れておいてある、握り寿司の形をした消しゴム。「これかい? 消しゴムなんだけれど」と差し出すとおっさん、5秒くらい固まって「ノープロブレム!」ちぇっ、散々人のスーツケース引っかき回してもう! って感じでした。

まだまだ、人生経験が足りないと思いつつ、私には、いざとなったらそれなりに度胸があるんだなということが分かりました。
(↑そうか、自分に度胸があることがわかったちゅうことが今年の収穫なわけやね。

最初は、オーストラリアへの愚痴かなと思ってハラハラしてました。僕もオーストラリアには10回ぐらい行っていますけど(ガイドブック2冊書いた)、特に入国検査で食品のチェックが厳しい国だと思います。カップ麺で、上蓋に絵柄に海老などのイラストがあるだけで没収された経験があります。握り寿司の形をした消しゴムは、お土産にいいでしょうな。今度、もっていこ。どこで売っています?)

●寺村正幸さん/元JWトンプソンのアートディレクター。新宮市駅前本通り「丸大パン」の次男坊。
今年の収穫
その1.夢の甲子園
今年の収穫は甲子園に息子の出身高校「雪谷高校」が初出場したことでしょうね。卒業してもう6年経っていますが、在学中は野球部だったので、大会になると神宮球場から府中球場といろいろな球場に、応援父兄としてお母さん方と氷を運んでいました。懐かしいです。いつもの応援していた10人ほどの母達とは久々に、この夏も神宮球場での準々決勝から準決勝、決勝と奇跡の試合を3試合も見ることができました。神宮での決勝戦は凄い応援でした。

甲子園では、PL学園と対戦し初戦で敗退しましたが、アルプス席で高校野球を初めて見ました。新幹線に前日飛び乗ると座席の前の3人組が、甲子園に応援に行く50代の卒業生で同窓話に大阪までビールで盛り上がり、甲子園ではそれぞれの卒業年度でT-シャツを作って応援していました初出場の公立高校ですが、9000万以上の応援金が集まり5000万ほど残金が出たそうです。・・・・・いつの日か!新宮高校も夢ではありません。

その2.空手大会に3位入賞した!
自宅の近くに空手道場があり、何も知らずに健康の為に始めた空手ですが、もう17年にもなってしまいました。40歳ぐらいまでは何度か試合経験をしましたが、10年たって、年代別大会が創設されたので出ましたが、3試合でもうクラクラしてしまいました。でも出場した経験が、また次の練習の糧になると思い、出て良かったと思いました。17年だともう達人の域に達しているはずなのですが、目標が健康の為なので教えられてもバカの壁!歳と共に衰える一方です。

●大畑等さん/新宮市ミッキー玩具店出身。建築家であり俳人でもある。現代俳句協会の評論賞を受賞。
【1】三年がかりで歳時記の改訂・編集作業に参加。やっと2004年の春(予定)に学研から発行。改訂・編集委員長は宇多喜代子さん。このおばちゃん、ええわあ。熊野ファンで、ボクより昨今の熊野ことをよく知っている。本宮の鳥居のことを嘆いていた。
(↑ほんまに、あの鳥居は俗悪以外の何ものでもないよ(怒り)

【2】これも三年がかり。設計と監理にたずさわった日本基督教団成田教会が5月に竣工した。隣は成田山新勝寺の墓地。崖地で境界も定かでない、ややこしい。当方、三年かかって貧乏になった。しかし仏罰と神罰をいただいて強くなった、ありがたや。

【3】小川双々子という俳人の評論、二年前に(1)を書いて、ぷっつんしていたが、やっとこの十一月に(2)を書き上げた。(3)は新春か?ご興味ある方は、
http://www.hat.hi-ho.ne.jp/hatabow/soosooshi%20syooron1-2.htmlへどうぞ。

【4】『熊野エクスプレス』の「我がらの新宮弁講座」で「あさぶら」に出会ったこと。なつかしい。では、よいお年を、先駆けての拙句ですが、どうぞ。

● 反・三猿
見尽くして「無」の盛り上がる鏡餅
聞き尽くし屠蘇の絶叫嗚呼「存在」
言い尽くし「意味」の孔明く寶船


●和田勇太さん/熊野出身の編集者。熊野アサブラ愛好会会員。
今年の収穫は「人類みな兄弟」というのが実感として分かったことです。今年の春ごろ、朝早く目が覚めて、NHKの深夜便を聞いていたところ、トランスパーソナル心理学の先生(岡野守也さん)がこんなことを言ってました。慌ててメモを取りました。以下その要旨です。

自分で自分を生んだ人は一人も存在しない。誰もが「生まれた」わけである。ではその両親は誰から生まれたか?これを計算していくと10代さかのぼったところで1024人のご先祖様がいることになる。20代さかのぼると100万人のご先祖様、30代さかのぼると10億人、40代さかのぼると、なんと10兆人。

この10兆人のご先祖様の誰一人欠けても「私」は存在しない・・・。平均20歳で子供を生んだと仮定して、40代は800年、日本史で言うと鎌倉時代の始めだ。ほとんどの日本人はどこか共通の親戚を持っていることになる・・・。(↑あの笹川のジイサンが言っていたことは、真実だったんやね。えらいこっちゃ。こういう発想をすると戦争もなくなるんやけど)

●西東桂子さん/フリーの編集者。特に幼児教育者を得意とする。仙台出身。
熊エプに一度はおたよりをと思いつつ、人生最高に忙しい年でとうとうここまで引っ張ってしまいました。最後に「出番」をいただけそうなので(企画が没にならないことを祈りつつ)、グッドタイミングで「今年の収穫」兼、自己PRです。今年の収穫は、ライフワークと言えそうな仕事と巡り会い、完成させたこと。足掛け3年がかりで編集した『はじめて出会う育児の百科』という816Pの大作が11月20日に書店に並びました。(もちろん、標準語で書いてあります)

古くはスポック博士、近年では松田道雄さんの育児書が「定本」でしたが、従来本はみな、小児科医が書いたものです。でも、子どもの育ちは「からだ」ばかりではないという視点のもと、「からだ」「ことば」「こころ」の3分野一体の育児書が出来上がりました。版元の小学館では、今後30年間売りつづけると言っていますので、私が死ぬまで本屋にあるということになり、緊張感もあるものの、達成感のある仕事でした。熊エプの読者の皆さんだと、子育てより孫育てに役立つかな?ご自分に御用のない方は、出産お祝い品にご利用ください。

おまけの「収穫」は、生まれて初めて「座りダコ」をおしりに作ったこと。
1日20時間座っていると、床ずれならぬ、椅子ずれができると知りました。それが乾いてタコになり、本の完成とともに、ぽろっと取れました(笑い)。忙しかったときは、長文の熊エプが配信されると眉間に縦ジワが出現しましたが、後半は間隔があいたのでほっとしていました(ごめん)。これからは“いい読者”になるからねぇ。
(↑桂子ちゃん、今年はいい仕事ができたみたいでよかったね。あなたからのメールをずっと待っていました。確かに熊エプの読者は、50歳以上のおとっつあんが多いので、孫の育児書としていいでしょう)

●クロニエル青木さん/広告カメラマン。ラテン音楽ファン。熊野アサブラ愛好会平日会員。
今年の収穫はなんと言っても、熊野エクスプレス発刊でしょう。何気なく情報交換の一環として発足したものが、アレヨアレヨという間に立派な情報マガジンになってしまった。1年で第21号である。いまや発行部数80部になんなんとするメジャー情報誌である。

なかでも、熊野川上流社会発信の方言集は秀逸で、毎号毎号内容が加熱していくさまは、抱腹絶倒、次号待望と読者を魅了してやまない。また、熊野鎖国論、丹鶴姫物語、あるいは、北京情報と枚挙にいとまがないほど。おかげで版元には原稿があちこちから殺到して、そのあまりの多さに誌面整理がつかず一時は熊エプ廃刊か?とまで言われるほど追い込まれる状態だった。
(↑いやあ、単なる編集長の怠惰でごわす)

編集長は別途ルポライターとして海外遠征80カ国を誇示しつつ、今日もあしたも駆けずり回っているから、熊エプは一時停滞したのも無理はない。しかし、縁の下のナンとやらで、読者諸氏のバックアップもあって、ここにまた、最強内容を掲載して新規?発行を続けることになり、嬉しくもあり、楽しくもあり、今後に大いに期待できるものと思うノダ。

その成果として、新宮市観光協会の「新宮モダン」なる冊子の発刊に我々KumanoMediaShingtanc.が関わることにもなったし着々とその実績足跡を残せるようになってきたのも、我が熊野エクスプレスあってのことと評価したいと思います。あちらから、こちらから、いつの間にかいろんな方々がアクセスしてくれて情報の輪、人の輪が広がっていく、そんな情報マガジンが今そこにある。クロニエル青木を拝命できたのも第一級の収穫だった。(↑いやあ、クロニエルさん、実力・実績以上の評価。嬉しいようなくすぐったいような。その代わりといっちゃなんですが、熊野アサブラ愛好会平日会員として認めます。「新宮モダン」をいい本にしましょう!)

●和賀正樹さん/文藝春秋新書編集部次長。新宮の三本杉幼稚園出身。文春社員なのにどういうわけか他社から出版するクセあり。
謹啓。森本さん。待望の熊野エクスプレスありがとうございます。よし、気合をこめて、かかせてもらいまっせ。
●今日、発売の週刊文春、正月合併号。
後ろのカラーグラビアが著名人が薦める各地のおいしいものの特集。池内淳子さんが南部川村の梅干。これは、分かるとして、西武の松坂大輔さんが田辺の熊野牛。かれは、通販おタク。シーズン移動中は、通販のムックを熟読するのが常。これは、という商品を試してはります。この熊野牛は、冷凍しても味が落ちず、最高の食味と松坂さん。みなさん、1キロ1万円の熊野牛って、

ご存知でしたか。熊野牛の販売元。全国あちこちから注文がはいっているかなあ。地元が潤うのを見るのは、嬉しいものです。新宮も、何か新たな名物を!深層海洋水は、もうおそいかな。那智の森の水は、どうだ?熊野古道に似合った、土地の新たな名物の創出。いまが商機かもしれません。

● 今年の収穫
恒産なく、恒心もない。いつもながらの、トホホな一年でした。取材6年の拙著「大道商人のアジア」(小学館 1600円)も思ったようには売れず、会社ではうだつが上らず。そんな暗闇のなかの燭光が、大阪のとある場所。元ヤクザ。身障者。旅芸人。遊郭の娼妓。解体業者。ダウン症の子をもつ離婚したヤンママ。青物の行商人。いろいろな過去をもつ人が胸襟をひらいて、お話をきかせてくれました。(すべて、部落解放同盟の大賀さん――高校の先生のみちびきです。2年後に単行本にまとめます。出版社は未定。売り込んでも、こんな地味な出版の企画、どこが出してくれるんやろ)在日コリア人の老女のつぶやいた「いまが一番、幸せやね」。この言葉を聞けたことが今年最大の収穫です。

(↑和賀クン、「大道商人のアジア」というのはいい企画だと思うけどね。あまり売れんか。次回作に期待!)

●青野圭成さん/浅草商店街の喫茶店「ハロー」のオーナー。韓国演歌に夢中熱中。
昨年、居酒屋で韓国のおじさんが、「シャジャン・カ・ノォ~ヤ~ドォ~」と歌うのをきいて、これは正しい発音で歌わねば!と思い立ち、ハングル基礎講座CD付きを購入。日夜特訓を重ねた結果、凄く正しくきれいな発音で、とてもイルポンサラムが歌っているとは思えないとのおほめの言葉をいただくまでになりました。

以上プラスの収穫。その結果、韓国人のくせにチョッパリ(足袋をはいた足が豚足に似ているところからきた日本人の蔑称)のふりをしている卑劣な奴、という評価が定着してしまいました。古人いわく、過ぎたるは及ばざるがごとし。おごるタイガースは久しからず。

(↑今度、浅草の韓国バーで大兄の「正しい韓国語」の歌を聞きたいものです。
小生、「釜山港へ帰る」を原語で歌いたい)

●須田郡司さん/巨石信仰の聖なる場所を求めて世界を放浪するカメラマン。
森本兄殿 いつも熊エプありがとうございます。今年の収穫は、15年間住んでいた東京を離れ、三年の日本石巡礼に旅だった事です。出発して、三ヵ月半がたちますが軽バン車上生活も随分慣れてきました。日本は地域的特色が豊で、日々、発見と驚きの連続です。石の上に三年の行を楽しみたいと思います。

旅好堂にメルマガ「フォトダマ通信」を載せて頂きまして、誠に有難うございます。
(↑ただいま郡ちゃんは、日本石巡礼真っ最中です。いたるところで個展や撮影を行っています。もし彼を見かけたら声をかけてください)

●紫帆りんさん/京都から三重県熊野市へ移り住んだ音楽家。波田須で「海が見える音楽堂」をオープン。
今年一番よかったこと!
1)ゆる体操
高岡英夫さんとの出会いにより宮本武蔵の五輪の書から「水のようにゆるめ」との言葉にヒントを得た天才武道家の高岡さんが開発した、ゆる体操を習い始め、先生のビデオの音楽やCDなどを担当させて頂いたこと。

2)地元の神社に残っていた100年前の獅子頭を発見し、獅子舞を復活させようという話になり矢中(夫)が笛を、私が獅子舞を習いに東京まで行き、とうとう1月2日にデビューとなりました。そのことから、地元で神楽を立ち上げようと提案して来年は創作神楽を立ち上げます。シンセサイザー獅子舞の様子は1月1日のNHKラジオで12時15分より生中継。
(↑紫帆さんの喫茶店兼音楽ホールから美しい熊野灘が望めます)
(中略:※城かず坊の新宮弁講座は別途特集で掲載)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
□■4 .Kumano Letter 2       今西 主
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
扮装家
ゴルフは楽しいし、クラシックも好き、テニスも再開してこれ又面白い。
でも私が心底惹かれるものは「扮装」。といっても、そんなにリキを入れないで、日常の中でおのれを何者かに軽~く「やつす」のである。断じてコスプレではない(でも、軽度のコスプレか)。

例えばどんなふうに?
ここ四五年気に入っているのは、「小津映画に出てくる、昔のサラリーマン」。
ボルサリーノの帽子とペッカリーの手袋、ダレス鞄は必須品。コートは厚ぼったい織りでラグラン袖のもの(捜していたらラルフ・ローレンにあった)。マフラー着用で、コートの中は見えないからスーツでもセーターでもよろし(そこまで凝るのは偏執狂、私の趣味にあらず)。

これだけで、現代サラリーマンの通勤スタイルからぐっと時代を逆戻りすることができる。さらに、鎌倉駅のプラットフォームではおもむろにセルフレームの老眼を出して、ハードカバーの本(できれば丸善のカバーつき)を読むような読まないような。「ゆるゆるした」雰囲気を作り出す。こんな私を見れば、七十近い勤め人は、ほとんどと言っていいほど「ん?なんじゃ、私より昔風。戦前?」といぶかし気な視線を送ってくる。

ま、これだけで「やった~」なんだから、私の場合、可愛いものでしょう。
私の「扮装好き」、思い起こせば五歳の頃からである。雨の降り続く熊野の五月。なんとも退屈な午後に飽き飽きしている私。寝っころがっている頭に、ひらめくものがあった。

「そうだ、大人になろう」。
おじいさんの眼鏡にサロンパスのブルーのフィルムを米粒で張り付け「サングラス」を作るところから、事は始まった。まずは、サングラス着用。次にタンスからネクタイを出してシャツの上から締める、頭には狩猟用のハンチング、足には苦労してゲートルを巻きつける。最後に、鹿の角をかぶせたステッキを持って「大人になった」私。

「こりゃ、ダレゾに見せねば」、右手に傘・左手にステッキを持ち家を飛び出した。(おお、世界は真っ青、これこそ脱日常。退屈はどこかへ消し飛んだ)みたいな気分。家の近くは田植え時期のことゆえ、女衆が簑姿でわいわい言いながら稲を植えている。

その畦道へ、「じゃ~ん」とばかり青眼鏡の私、登場。
腰を叩きながら顔を上げた女衆、「なんや、マモちゃん、そのかっこう」と、これが、メチャうける。つい興奮した私は急に尿意を催し畦道で オシッコ。すると、それが大きすぎるネクタイに引っかかる。あわててネクタイを持ち上げたら、ゆるいゲートルがずるずる落ち始める。(あやや、むちゃくちゃでござりまするがな)になってしまった私。

でも、この作らない芸が、また大うけ。五歳の私は、満足満足、であった。賢明な読者には、これで、いかに私が「扮装家」を目指すことになり、さらなる観客を求めて大都会に出て行くことになるか、お判りいただけると存じます。
————————————————————————–
発行元:世界に羽ばたく(有)森本剛史事務所
http://ryokodo.blog.jp/
————————————————————————–

(※剛やん、見てくれているか?)

西 敏


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


wp-puzzle.com logo