ドイツの原爆要求
50年以上になるかと思います。私がパリの駐在員時代。事務打ち合わせでドイツの事務所に出張した時の話です。朝一番事務所に顔を出した時、事務所長から邦人社員全員に集合命令が出ました。所長の話はわが耳を疑う内容でした。
要旨はドイツとソ連の関係が非常に不穏になってきた。万一ソ連がドイツに侵攻してきた場合、諸君は自分の判断で自分の身の安全を図れ。最終的にはスイスのジュネーヴにある日本総領事館に連絡を取れ。以上でした。駐在の同僚もあまりよく知らない寝耳に水の話と言う感じでした。
パリに帰って事務所の長老で私の先生ムッシュウ・メムランさん、皆さんご記憶ありますね。(以前「盲目のノコギリ奏者」に登場願った)彼の解説を聞きました。ドイツ・ソ連の関係は戦後最悪、でも戦争になるとも思わない。しかしドイツはこの機会とばかりに自衛のためとの理由で原爆を持ちたいと主張している。
これに対し犬猿の仲のフランスが猛反対、フランスが原爆を持ってドイツに駐留すると主張。これにはドイツが猛反発。目下アメリカが中に入って仲裁中という。最終的にはアメリカがドイツ国内に原爆を持ち込むという事で後日落着した。
ドイツとフランスは歴史的にも仲が悪い。当時、大戦後25年位経過していましたが、ドイツ人とフランス人がシャンゼリゼ通りの真ん中で口角を飛ばして喧嘩をしている光景や、町のカフェでドイツ人と分かって入店を断っているのを目にしたことがあります。
メムランさんの話が続きます。終戦の折の講和条件としてドイツが出した条件がある。小さいながら自国防衛のための軍隊を持つ。憲法は他国の干渉を受けない、そして教育についても他国の干渉を受けない。これらのうち一つでも拒否されるならドイツは最後の一兵まで戦う!と主張したらしい。フランスの猛反対を受けながら連合軍として最終的に承認したという事である。
一つ付言すると戦後70年の間にドイツは憲法改正を数十回行っているという。無論ECの結成や東西ドイツの統一など大きな国の変革のあったことは事実、しかし本当に60回もの改正とは!いささか憲法軽視?も否定できないかもしれない。
申し上げておくと、メムランさんはユダヤ人、戦時中はナチスから逃れてエジプトに避難、本来はドイツ嫌いの筈だが、私は彼からドイツの悪口を聞いたことがない。
東 孝昭