古文書との出会い

20年位前に「川崎市の古文書を読む会」の会報に投稿させて頂いたものをそのまま今回投稿させて頂きます。(原文のままです)

大学に入って暫くだったと思う。母校の高校の先生から電話があって、「あるところで古文書が大量に出てきたので整理して欲しいと依頼されている。今度の日曜だが手伝ってくれないか」と言う話なので、その旧家をお尋ねした。ご主人の話で水飢饉に関する文書らしいがどうしても読めないので宜しくと言う。どうも話が違うらしいのでよく聞くと、先生は都合で見えないが、古文書を読めそうなのを行かせると言うことでお待ちしていたと言います。すっかり先生に騙されたと思い先生に電話したが外出で不在。取り敢えず整理だけでもお手伝いしますと言うことで、煤だらけになって土蔵の整理を手伝ったものです。残念ながら文書は読めず実に歯がゆい思いをした一日でした。

やがて十数年ほど経って、子供が田舎の先祖を訪ね、「自分のルーツ」を夏休みの宿題としてレポートすると言うことで、和歌山の田舎に出向きました。当時九十才位のお爺さんから昔の話を聞いたりしたのも印象深いことでしたが、私の又従兄弟になる人から、こんなものが出てきたと言って見せられたのが「免定」と書かれた簡単な文書など数点の古文書でした。我が先祖から出てきたわずかな文書には感激したものの、これまた読めないのは如何にも歯がゆいことでした。

比較的最近の話になりますが、海外のホテルの朝食で隣り合わせたドイツ人との会話で「最近の言葉」が話題になりました。彼曰く、「ギリシャやローマの言葉が今でも読めると言うのに、最近の外来語の侵略には参ってしまう。特にパソコンなど最近の科学用語の侵入には歯止めがない。EUとなって皆がお互いに外国語を喋るようになったのは良いことだが、日常の会話の中にまで外国語が混入して、話についていくのは大変だ。今にドイツ語が外国語に侵略されてしまう。それに比べフランスは上手くやっている。どんな言葉でも独自の言葉に転換してフランス語を守ろうと努力している。日本ではこういう問題はないのか?」と言う質問を受けたものです。私は、「日本も同じで、日本語の中に英語が入るわ、それを独自に変形するわ、若い人はどんどん新語を作ってくれるわで全く大変だ。国としてもなんとかしようと言う努力もしていない。ただ日本の言葉がアルファベット文字ではないし、言葉の基本的構造が違うので外国語に侵略されても無くなる心配はないが、最大の懸念は昔の文化が将来理解されない時代が来るだろうと言うことだ」と答えるしかなかった。 彼は「それは言葉の進化と言うもので心配は判るが異質のものだ」と言って慰めてくれたものの、ドイツでは百年か千年先の心配に対し、日本は既にその心配が現実の問題となっていることだと思い至ったことでした。

この会話の時を期して、私は私なりに古文書の勉強をしようと思い立ったことでした。無論学生時代のことや、田舎から「免定」が出てきたことがその背景にあることは否定できないでしょうが、わずか百年前の文字が読めず、その時代の文化を十分理解できない自分を深く憂うだけでなく、少しでも次世代の人達にも日本古来の文化を伝える努力をしたいと考える次第です。 古文書の勉強を初めて三年、まだまだこれからです。今後とも宜しくご指導をお願いします。

    古文書との出会い” に対して1件のコメントがあります。

    1. t_nishi より:

      この記事を読ませていただいていると自分も古文書を読めたらどんなにいいだろうと学の浅さに恥ずかしい思いがしてきます。自身は、好奇心が強く何にでも手を出したくなる性格でそれ自体は悪くはないと思うのですが、どちらかというと古い文化よりも新しいものに興味が向かってしまう傾向があるように思います。

      40代後半にウェブサイト制作というこれまで思ってもみなかったそれこそ革命的なモノに遭遇したことで、英語を中心にした新しいカタカナ言葉を覚えることに汲々としていました。思えばあれから20年、サイト構築と運営という新しいことはそれなりにわかるようになりましたが、その間半分でも時間を過去に向けて古文書の勉強に時間を割いていたらと思うと・・・。

      最近、テレビで、歴史学者の磯田道史が古文書をすらすらと読んでいるのを見て素晴らしいと感じたばかりでした。自分にはない才能の持ち主は常にうらやましい限りです。たかだか100年ほど前に同じ日本人によって書かれた文章すら大抵の日本人が読めないことは実に残念と言わざるを得ないことかも知れませんね。

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