太宰治心中の謎(5)

4.水上温泉

太宰は、パビナール中毒(麻薬性鎮痛剤)で、1936(昭和11)年10月に、東京江古田の武蔵野病院(精神病院)に強制入院させられる。もともとは、盲腸炎をこじらせ、腹膜炎を起こした際に、痛み止めとして使用されたものである。これが、習慣化し、その後1年半にわたって中毒と、薬品購入のための借財に苦しむ。背景には、思うように作品が書けず、世の中にも認められないという焦りがあったと推測される。「芥川賞騒動」があったのもこの頃である。

この入院中に、内縁の妻である初代は、津島家の親戚である小舘善四郎というイケメン画学生と、密通を行ってしまう。善四郎は、このことを太宰に告白する。これで、太宰は更なる衝撃を受けることとなった。

初代との生活に行き詰った1937(昭和12)年3月21日、太宰治は初代と、水上温泉で心中未遂事件を起したとされる。前日、東京で薬を買い求め、上野発の夜行列車で、水上駅に午前4時に到着。そこから、水上温泉の最も谷川岳に近いところにある谷川温泉の川久保屋に向かう。川久保屋は、川端康成の紹介で、太宰が1年前にパビナール中毒の静養で過ごした料理屋兼宿屋である。川久保屋で休んだ後、水上駅に下る途中の林の中で、2人はカルモチンを飲む。2人とも、一時は意識を失うが、太宰も初代も死んでいなかった。これは、小説「姥捨(うばすて)」に書かれている。

実際に、この心中現場を見に行くことにした。関越自動車道を東京から新潟方面に向かう。関越トンネル直前の水上インターで高速道路をおり、水上駅方向へ走る。水上駅の手前で左に大きくUターンするようにして、山に入っていく。その一番奥にある3軒の旅館のひとつが、川久保屋を発祥とする「旅館たにがわ」である。水上温泉全般の人気が低下する中にあって、この谷川岳に手が届きそうなところにある宿は、大変賑わっていた。「日本の宿100選」にも入る高級旅館である。

「太宰治が心中未遂事件を起こした場所を教えてくれませんか」と宿の人に聞くと、「この石碑のあるあたりです。ただ、ちょっと見つけにくいかもしれません」と、宿で作成した手書きの地図を見せてくれた。「案内してもらえませんか」と頼むと、快諾してくれ、宿の車で現場へ連れて行ってもらった。

石碑は、水上駅と谷川温泉の中間あたりの道路脇にあった。ただし、「太宰治心中未遂の地」とは書いていない。小説「姥捨」の一部が、石に掘られているだけである。心中場所は、この石碑の上にひろがる林の中のようだ。確かに、そのような雰囲気を感じさせる。

宿に戻り、宿の女将に、「太宰治関係の資料は何かありませんか?」と聞くと、どこからか数冊の資料を部屋に持ってきてくれた。この宿には、かつて太宰治の研究をするグループが、現地調査に訪れたことがある。このグループの作成したレポートの中に、興味深い記述があった。それは、太宰治の研究家の長篠康一郎氏(故人)が書いたものである。長篠氏は、1971(昭和46)年に太宰文学研究会を立ち上げている。この研究会は、「実証的太宰治論」を標榜するグループで、実際に太宰ゆかりの場所を訪ね、一般的な太宰論を実証的に確認するところに特色がある。

水上温泉心中説について、長篠氏は、このレポートの中で、次のように書いている。「水上心中=太宰治年譜には、『昭和12年3月、小山初代と水上温泉でカルチモン心中(自殺)を図ったが未遂、帰京後初代と別れる』と記載してあったが、長篠の調査では、この年の3月は大雪でカルチモン心中を図ったという確証は得られず、この水上心中未遂説は、小説『姥捨』に描かれただけのたんなる物語であって、すべてフィクションと考えてさしつかえないと思われる。」

実際、現地は急斜面の林。私がここを訪れたのは、3月下旬であったが、やはり雪が降った。長篠氏の調査のように、この季節に大雪が降ってもおかしくはない。その中雪をかき分け進むのは、大変な体力が必要である。そして、もし、カルチモンを飲んで眠ってしまったならば、凍死は確実であろう。しかし、2人とも死ななかった。そうしたことから考え、この水上心中未遂説は、長篠説のように、フィクションという可能性が高いと思われる。

ただし、太宰は、この頃既に初代と別れることを決めていた。この年の6月、二人は正式に離婚。その後の初代は、青森の浅虫温泉、北海道、満州を転々として、荒んだ生活を送ったと言われる。そして、1944(昭和19)年青島で亡くなった。享年33歳の若さである。

~つづく~

斎藤英雄

    太宰治心中の謎(5)” に対して1件のコメントがあります。

    1. AY より:

      水上温泉での心中はフィクションとみてさしつかえない、とのこと。たとえそれがフィクションとしても、あとで心中未遂と間違えられるような出来事があったのでしょうか。昔は情死といいました。太宰は、女性を巻き込んで自分の弱さから逃避し死に結びつけていたような印象を抱きます。AY

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