プロカメラマンの秘密を探る⑮~予測された必然
今までにも雷の写真は何度か見たことはあったし、自然現象のほんの一瞬を捉えた写真としてそれなりに凄さを感じてもいた。しかし、これまで写真についての解説を聞いたことは一度もなかった。そして、野村さんから雷についての解説を初めて聞いて驚いた。
説明の内容はこうだ。「人間の神経の伝達速度は、雷の伝わる速度より遅いです。ですから、ピカッと光ってからシャッターを切っても遅いんです。」
よくわからないので少し調べてみた。人の神経の伝達速度は音速(約340m/s=1225 km/h)より遅い。また光速は俗に「1秒間に地球を7回半回ることができる速さ」とも表現され、光速を超える速度は通常の物理学空間ではありえない。
これでは、雷がピカッと光ってからシャッターを切っても全く間に合うはずがない。ではたくさんある雷の写真はどうして撮っているのだろう。どう考えても結論はひとつしかない。つまり、雷が光る前にシャッターを切っているのだ!こんな写真の撮り方があることなど夢にも思わなかった。
講演会当日、野村さんは「実は今晩がチャンスだと思っているんです」と言った。天気予報を聞いて雷の落ちそうな可能性のある時間と場所に狙いを定めているのだ。そして、じっと雨の様子をうかがって、ゴロゴロと雷鳴が鳴り始めたら、ある目標に向かって連続でシャッターを切り続ける。その雷には間に合わなくても次の雷に照準を合わせて。
連続で10回ほどのシャッターを、何度も何度も繰り返して連射するのだ。果たしてうまく写っているのかどうかは、後でカメラをチェックしてみないとわからない。まさか、こんな面倒なことをしているのだとは露ほども思っていなかった。これはもう素人の想像の域を超えたプロの世界だ。
結果からみると、うまく撮れた場合には、たまたまシャッターを連続で切り続けている間にピカッと光るという「偶然」があったということになる。野村さんも「偶然にうまく写っていた」と表現している。しかし、この場合、偶然と言うのだろうか?
この「プロカメラマンの秘密を探る」シリーズの序章として、「編集後記~用意周到な偶然」と題した記事を書いた。そこでは、カメラマンの技を、単なる偶然ではなく”用意周到な偶然”と称した。これに対して今回私の頭の中に浮かんだのは、”予測された必然”という言葉だ。
”用意周到な偶然”から更に一歩踏み出して、はっきりとした目的を持って”予測された必然”を確実に追いかけているプロカメラマンがそこにいる。
了
これまで、プロカメラマン・野村成次氏の作品についての記事を15回に亘り掲載してまいりましたが、今回をもって終了となります。今日までご覧いただき誠にありがとうございました。 (八咫烏) |
読み応えのあるシリーズをありがとうございました。
八咫烏さんの分析の深さ、鋭さに圧倒されて、軽々しくコメントすることができず、すみませんした。
同じ写真を眺めていても、これほど豊かに感じることができるのだと教えられることがたくさんありました。
『用意周到な偶然』に始まり、『予測された必然』に終わる、これは偶然でしょうか、それとも、必然でしょうか。
「プロカメラマンの秘密を探る」シリーズをお読みいただきありがとうございました。
この連載を始めようと思ったきっかけは、まず、プロカメラマンが撮った写真はやはり一味違うなと感じたことでした。我々が日常目にする何でもない景色がプロのレンズを通してみると全く違ったものに見えたこと。そして、その写真の一枚一枚についての解説をご本人から直接聞いて心を大きく揺さぶられたことでした。
いったい何がどう違うのかというところを探ってみたくなりました。まず写真を撮るということについての基本的な考え方に一本筋の通った”何か”を感じるけどそれは何なのか。そして、一枚一枚にはそれぞれ特有のコンセプトなり思いがありそうだけれどいったいそれは何なのか。その秘密に触れたくなったのです。
ここで、ご質問にお答えします。答えは「偶然」です。
野村さんが講演会で何度も仰った「たまたま」「儲けもの」「運がよかった」という言葉で片付けられていたことが実はそうではないのではないかと疑問に思ったことから、「用意周到な偶然」という言葉が生まれました。
後は、多くの写真を見つめながらふと思いついたことをランダムに書いていったもので、順番を意識したことはありません。最後に残ったのが雷の写真で、これに対して”たまたま”浮かんだ言葉が”予測された必然”でした。最初と最後の記事で結果的には韻を踏んだような締めになりましたが、”運が良かった”と思います。
尚、この野村さんの写真集は、講演会に出席できなかった方のために明日開館する「ハイムのひろば美術館」に常設展として展示されています。ゆっくりとご覧いただければ幸いです。
(八咫烏)