福澤諭吉と「独立自尊」

福澤諭吉と言えば「独立自尊」と反射的に出てくるくらいに、これは有名な言葉である。

では、果たして実際に、真の意味でこの言葉を正しく理解できているのかと問われると、自分自身、心もとない限りである。そこで福澤が言わんとした「独立自尊」とは何かを考えてみた。

この「独立自尊」が実際に使われたのは、福澤が高弟たちに命じて編纂させ、1900年に発表した慶應義塾の修身要項の中であった。

従って独立自尊という四文字熟語は、福澤と慶應一門が作り出した成語であったと言って良いのであろう。

二十九条から成る修身要項の第二条に次のように記されている。

「心身の独立を全うし自から其身を尊重して人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云う。」

また、「福翁百話」に「独立は吾に在て存す」という一節(五十二)がある。「福翁百話」は、時事新報において、1896年(明治29年)2月25日に序言が掲載され、同年3月1日から連載を開始し、1897年(明治30年)7月4日まで掲載された。

上記の時系列に立つと、福翁百話が発表されてから、修身要項が編纂されたことがわかる。

その意味で、福翁百話でわざわざ一節を割いて「独立」は我に在りと述べていることから、ここに福澤の考えの多くが見いだせるはずである。福澤は独立についてどう述べているか、要旨を書き出し、それらの一つ一つを味わってみたい。

・独立とは、まず他人の世話になることから免れ、すべてのあらゆることを自分自身で責任をもって、自分の力で生活し、親子の関係であってもお互いの責任の境界線を明確にする、そうした後に初めて自分が思うことを言い、自分が思うことを行うという意味である。

・この独立の基礎がすでにできあがった後は、少しも自分の本心に恥じるようなことは一切行わず、節を曲げて他の人に屈するようなことはすべきではない。

・重要な出来事に際して自分の筋を曲げないことはもちろん、ひとつひとつの言葉や行動の微細に至るまで、ややもすれば自分が後悔するようなことをしてしまうことは独立の主旨に反するものである。そうである以上、他の人に対して気兼ねすることなどは無用である。

・世の流れや人情にほだされて、一時の方便のためにはやむをえないとか言って、右にすべきことを左にしたり、東にすべきことを西にするようなことは、独立の真の姿に反することで、立派な人物は恥じてすべきでない。

・それでは、人間が生きていく道とはとても窮屈で、色も艶もなく、到底世の中の人と打ち解けて交際していくことなどできないのだろうか。いや、そうではない。

・そもそも独立とは外面だけ装って自分の身を飾りたてるものではない。ただ深く自分の心の底にしっかりと抱いて、自分自身が守るべき主義主張というだけのものである。

・本当に独立している人は、その心は寛大であり、大きな海があらゆるものを包容するように、他人に対して多くを求めず、「人は人、自分は自分」と思い、他の人が自分の独立を妨げようとしない限り、おおらかな気持ちを持って他の人々と交際することができるのである。

・自分の一身の独立は生命よりもたいせつなものであり、この独立を妨げようとする者がいれば、この世の中のすべての人をも敵にすべきであり、たとえ親友であっても絶交し、一族親戚の間の愛情から去ることも厭うべきでない。

・しかし、実際には、そこまで追い込まれることはめったにないのであって、昔の武士とて世の中の人々を敵に回しても、自分に対して無礼を働く者は容赦なく斬り捨てるとの覚悟を持っていたとしても、道徳を大事にして武士道を守っているならば、刀の柄に手を掛ける必要はそもそもないものだった。

・現代にあって独立して生きる人々も、その独立の仕方、在り方を昔の時代の武士のように持てば、大きな過ちを犯すことはないであろう。

さてこれらの言葉の一つ一つを味わってみて、果たして自分自身に照らしたとき、自分は独立を貫くことができているだろうか。翻ってみて、戦後の日本は国としてどうなのだろうか。(了)

風戸 俊城

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