笑説「ハイムのひろば」42 愛犬こうちゃんの想い出

クリスマスを一週間後に控えた2021年12月17日、西野敏彦の愛犬「孔子」が天国へ旅立った。16年という長い間、どんなに寝不足でも毎日早起きして一緒に散歩してきた最愛の相棒はもういない。散歩は犬の為ならず、自分の健康のためと言いながら、どんなに体調が悪くても一緒に歩くことで元気をもらっていたことを改めて知る西野だった。

二日後、近所のワンちゃん仲間たちも駆けつけてくれ、お別れ会を催した。葬儀をすませた後、西野は何もする気になれず、ボーっとした日が何日も続いた。家族が出かけることに気づくと、ワン・ワン「行くな!」と吠えていた孔子。ベランダに鳩が来たのを見つけるとワン・ワン「来るな!」と吠えていた孔子はもういない。

テーブルで食事を始めると近くに来てちょこんと座り、自分の番が来るまでおとなしく待っていた孔子。フードをあげようと立ち上がり、計量カップからこうちゃん用のお茶碗に入れる時の ”音” を聞くだけでそれと悟り、部屋をぐるぐると喜びまわっていた孔子。西野が横になって居眠りをしていると、よく、ほほや手を舐めにきた、あの孔子はもういないのだ。

いつもそこにいたはずの孔子がいない日常など考えられなかった。今にも別の部屋から飛んできそうな気配がしている。西野も妻も娘たちも孔子にはよく話かけていた。そう、人間と話すのとまったく同じように毎日声をかけていた。話しかけるとじっと目を見つめてくる。「何を言ってるんだろう?」という顔をして。

西野は、家族が正月を迎える準備をしている歳末の雰囲気が嫌いではなかった。あゝ、今年も一年みな元気でいられてよかったと感謝をしながら、新しい年はどんな年になるのかと思いを馳せるのだ。ただ、今回ばかりは全く違ったものになってしまった。あれだけ愛した孔子がもういないことが納得できずにいた。

西野家の2021年の最後の2週間は、こうして寂しく暮れていった。明けて2022年、新年を迎えても晴れがましい気にはなれず、何をしていてもふと頭を過るのは愛犬のことばかり。3年前に母親が亡くなった時も心が傷んだが、今回は何か特別な感じがしている。母親は、亡くなる直前まで ”西野を護ってくれている” 存在であったが、孔子はこちらが ”護ってあげるべき” 存在だったからなのかもしれない。

西野は大勢の友人から慰めや励ましのことばをもらった。気もちはとてもありがたくみな温かいものだった。これまで愛犬を亡くした飼い主たちは同じ経験をしてきており、みなそれぞれに悲しみを乗り超えてきているはずだ。そんな時自分は慰める側の立場だったが、いざ立場が逆転してみると喪失感が予想よりはるかに大きく、心にぽっかり空いた穴は当分埋められそうになかった。

ペットロスという言葉があるが、何年も引きずっている人もいる。でも社会の一員として冷静に考えた時に、このことでいつまでも他人に気を遣わせるようでは情けない。それに西野ののそんな姿はを見れば、愛犬もきっと喜ばないはずだ。ちょうど新しい年がスタートしたばかりだ。西野は、ここは気持ちを入れ替えて元気を出さなければと思った。

西野は、複数の友人、知人からこの状況を乗り越えるために「楽しかった思い出」について考えるといいよとのアドバイスを受けた。わざわざ「ペットロス克服の仕方7か条」を書いてくれた友人もいた。その項目の中にも「楽しかった時の思い出を整理する」というのがあった。

確かに、楽しい想い出はたくさんあります。否、考えてみると、悲しい想い出などなくすべてが楽しい想い出ばかりだ。そういえば、亡くなった日以来家族と話すのは、楽しかった日々の想い出ばかりだ。別れを前向きに受け入れるというのは時が経たないと難しい話だが、楽しい想い出を辿ることなら何とか出来そうだ。

悲しい思いは大晦日の除夜の鐘とともに捨て去るしかなかった。今はもう光に満ちた未来に向けて元気を出していかないと。これは、そう、幸せの報告なのだ。これまでとても幸せだったことに感謝しつつ、楽しかった想い出を綴ろうと思った。

西野は一念発起して、愛犬との想い出を書き綴ってみたいと思い立った。身勝手な思い入れとたくさんの親ばかぶりを書いてしまいそうで、それは恥ずかしいことではあるが、哀しみを乗り越えるための一助となるならやってみようと思った。想い出のひとつひとつを辿りながら書いていきたいと思った。

蓬城 新

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です