フランスあれこれ93 エッフェル塔の眺め

私はこの時季つまり秋のエッフェル塔の眺めが素晴らしいと思います。中でも陸軍士官学校を背にシャンドマルス(戦争の神マルスの野原)を通して見たのが最も印象に残っています。広場の両面の紅葉、青空に聳えるエッフェル塔です。元来この広場は士官学校の練兵場だった訳です。(余談ながらナポレオンもこの学校の卒業生です)
観光客を含め多くの人がこのエッフェル塔を絶景だと眺める場所は反対側、セーヌ川の向こうにあるシャイヨー宮からではないかと思います。(観光写真の多くはこちら側です)

エッフェル塔は1889年、フランス革命100年の記念の年に開催された第4回パリ万国博覧会のシンボルとして企画されました。産業の発展、技術革新など社会の大きな変革の時代です。鉄の素材としての活用が大きく伸び、建築は無論、鉄道、道路、中でも橋梁などが大きく発展していました。

ここで登場頂くのは私のフランスでの最初の友人で日系二世の“L.Sさん”です。彼はまれにみる秀才、超一流のポリテクニックを卒業、更に当時最も注目されていた“Ecole Nationale des Ponts et Chaussees”(通称”ポン・デ・ショウセ“で道路や橋梁の建築専門学校)を卒業した建設省の役人でした。彼から色々この分野のことを教わりました。(私とは全くの専門違いです)
元来博覧会が終わったら取り壊す予定だったのですが、今後も残そうという運動と共に、それに反対する動きもありました。無線電波を軍隊が利用するという話が持ち上がって、命拾いしたと言います。

その他もう一つ私の注意を引いたのは、エッフェル塔が自殺の名所だということです。確かに最上階の展望台を含め三つの展望デッキは全て胸辺りまでのフェンスだったと記憶します。当時、経済・社会の情勢によって毎年のように3~10人位の自殺件数と聞きました。(現在はきっとフェンスの補強がされていることでしょう)

その後経済発展、更にはバブル経済へ。そして旅行ブームと重なって観光客が激増。エッフェル塔も行列ができるほどの繁盛でした。

そして今ではパリの観光に欠かせない存在です。時代が変われば世の中も変わるという事ですね。でもエッフェル塔の眺めは今も昔も変わりません。

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