フランスあれこれ(6)フランス救急病院(1)
50年位前の話、私がパリに赴任して一年くらいたった時の話です。連日日本からの来客のアテンドで忙しい毎日を過ごしていました。
その日は珍しく日本からの来客もなくのんびりした土曜日を過ごしていました。言葉の勉強もあって夕食後、家内と映画を見に出かけました。言葉が判らなくても良さそうな愉快な映画を選びました。映画館の中は爆笑の連続でした。私共には冗談のような話は理解どころではありませんでした。ところが暫くして体に異変を感じました。まず頭が何となくかゆくなり、やがて両脇の下がかゆくなり遂には局部までかゆくなってきました。要は毛の生えているところがかゆくなってきたと言うことです。これは大変!毛がなくなったらどうしよう!さては夕食の刺身が良くなかったかと思い、慌てて映画館を飛び出し近くにいたタクシーを呼び止めて、「近くの救急病院へ!」と依頼しました。運転手はゆうゆうたるもので「救急病院に行くなら自宅の近くがよかろう、どこに住んでいる?」「パリ郊外のシュレンヌです」「了解!」と言う訳で直行しました。
我が家の近く小高い丘の上に病院のあることは知っていました。山の麓にゲートがあり、そこからS字型の登坂を駆け上がります。驚いたことに救急口に到着した時、数台のストレッチャーをゴロゴロさせながら若い医師達が看護婦さんと飛び出してきました。ゲートに光電管装置でもあったのではないかと思います。私がタクシー代の支払をしていたのですが、「患者さんはどこだ、どこだ?!」と言う具合で家内もおろおろと言う事態でした。
沢山の病室が並んでいましたがどこもガラガラ状態。そのうちの一つに案内された時には、先ほどからのかゆみも少し収まりつつあったと思います。フランス語に未熟な私はかゆいという言葉を知らないので、手まねで全く猿の風情だったことでしょう。刺身として「生魚を食べた・・・」・・何とか意味が通じたらしい。一人の医者が「日本人は毒の魚を生で食べる」と言うのが耳に入りました。すかさず何とか思い出して「新鮮だったので鯛を刺身にした」「だいぶ良くなってきたようだ」と説明、何とか事情が通じた次第です。
特別の診断も検査もなく、結論はこの薬を飲んで寝て下さいと言って赤い液体の入った2本のアンプルを渡されました。すぐに効くから寝る準備を完了してベッドに入ってから飲むように言われて帰宅しました。診察・薬ともに無料でした。
帰宅後風呂に入り寝間着に着替えて貰ったアンプルの1本を開けて飲みましたが、その後瞬時にして眠ったのでしょう、まったく記憶はありません。ベッドに入ったのは多分深夜12時頃、目が覚めたのは翌日の午後3時頃です。15時間前後眠ったことになります。
目が覚めてビックリ、世の中全くブライトと言うか気分爽快、明るく楽しく、口から冗談の飛び出すこと留まるところ知らず。我ながらこんな気分は初めて、これが麻薬だろうと認識をした次第です。
先述の通り貰ったアンプルは2本でした。あと1本を大切に保存していました。あの恍惚感を機会があればもう一度と考えていたものです。そのまま四年が経過して帰国命令が出ました。結局、再度!の期待も空しく捨てざるを得ませんでした。
私がフランスで垣間見た救急病院のお話をしましたが、その直後日本の新聞で知ったのですが、杉並で救急車が病人を載せたまま立ち往生し、結局その患者さんが亡くなったという「たらい回し」の話です。50年前のフランスと今の日本を比較して如何なものでしょうか。タクシーの代わりに救急車を呼ぶという話を聞く限り、どちらの国が天国か分かりませんね。
この話の後20年くらい経ってもう一度パリで救急病院を経験しています。別の機会にお話しさせて頂きます。
東 孝昭