フランスあれこれ78 パリの異端者(1)=モンパルナスタワー

第一回東京オリンピックの年(1964)私はパリに足を踏み入れました。戦後の復興も一段落、各分野での変革が見られるタイミングだったと思います。冬の暖房が石炭から石油や電力に、それに伴い古くからの煙突掃除が見られなくなったと耳にしたことがありました。当時煤で黒くなっていた建物の化粧直し、と言っても煤落としです。まずノートルダム寺院がその第一号でした。正面の壁が一転して真っ白になってビックリしたのですが、同時にその長い歴史も共に消し流された思いをしたものです。

それから二十数年後、再びパリに赴任しましたが、パリの中心に位置するノートルダム寺院からセーヌ川を渡って少し、モンパルナス駅の改築でできた場所に近代的な高層ビル「モンパルナスタワー」が出来ていました。

モンパルナスタワーは高さ210m、59階、完成1973年

私にはとても納得できる建物ではなく、身近な皆さんに「何故?誰が?」と聞いて回った次第ですが、適格な返事は貰えませんでした。その後聞くところでは完成当時大変な景観論争があり、強硬派は取り壊せと要求したと言います。結果としてこれを最後にパリ市内ではこの種の高層ビルは禁止となったようです。

「確かにパリの景観としては不似合いで良くないことには納得しない訳ではないが、まあ一度あのビルの屋上に上ってパリを見晴らしてご覧!これぞパリ一番の景観だから!」と言われて議論は終了、と言うところ。地元の人にとっては15年も慣れ親しんできたわけで特別の偏見もないと言うのが実情だったのでしょう。

(追記)しかし不思議なのは、建設の始まる直前(1968年頃)パリの西方5km位の所に高層ビル街の計画があり、一部の工事が既にスタートしていました。

コンコルド広場から西へシャンデリゼ通り、凱旋門、更に直線で西に真っ直ぐの道の拡幅工事が進行、そして一部の高層ビルの工事がスタートしていました。その工法がまた珍しい。まずエレベーターを下から上へ一段ずつ積み上げるように建設します。細くて背の高い塔が立ち上がっていきます。出来上がった部分を使用しながら自分で資材を自分の上に積み上げていくというやり方です。後はそのエレベーターを使ってビル本体の建設工事を進めます。上層階の柱や壁の建設中に下層階の内装工事が進行すると言う私には全く寝耳の水と言った工法でした。私はこのビルのほぼ完成まで観察を続けた記憶があります。

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