フランスあれこれ34~運河の立体交差
皆さんご存知でしょうか。フランスの国土の面積は日本の1.5倍、日本は85%が山岳だがフランスは15%、人口が日本の半分として一人当たり約17倍の平地面積という計算になります。パリを少し出ると比較的ゆるやかな平原が広がります。この地理的な条件からセーヌ川は大きく迂回・蛇行して流れが緩やか、一大水運として利用され、その結果パリも発展できたという背景があります。この水運の延長が網の目のように張り巡らされた運河網です。
運河が物流の手段だったのも自動車が生まれる以前の環境での話。折角の遺産も現在は非常に限られた利用だと聞きます。一つは局地的な水運と農業などの水源、それとわずかな観光だと聞きます。この場合の観光というのは例えばリタイア(或いはリタイヤー)の後小舟を手に入れてのんびりと水上の生活と旅を楽しむという事です。
今回はこの運河の立体交差を見ようと出かけました。(1991年5月)場所はフランスで一番長いロワール河の中流にあるブリアール(Briare)です。パリから南に約130km、途中すぐ近くのジアン(Given)に立ち寄りました。
ジアンはこじんまりした街ですが、町の中央小高い丘の上に聖ジャンヌダルク教会(Eglise Sainte Jeanne d’Arc)があります。またしてもジャンヌダルクの登場です。「セーヌの源流を求めて」の中で訪ねたオーセールの教会を通過した後この教会に立ち寄っています。その後も3度この街を通過した、或いは滞在したという記録が残っています。
ジアンは陶磁器で日本でもよく知られています。写真は我が家の思い出の一品です。
寄り道はそれくらいにして今日の目的地ブリアールに向かいます。ジアンから5km位、同じロアール川に沿った隣町です。町としての特徴は今一つ、むしろブリアール運河、中でもこの立体交差が町を支えているというところ。
この運河はセーヌ川とロワール川を繋ぐ運河で、その間の距離58km、1605年に着工、その後紆余曲折があり、再三工事が中断、最終的に1642年に完成したと言います。水位の異なる運河を利用できるようにするための水門38門と言われ、当時としては大変な難工事であったことが偲ばれます。その見せ場は写真のロワール川をまたぐ立体交差です。
その後運河が更に延長され地中海に流れるローン川の支流につながります。その結果運河伝いに北海と地中海が繋がり、東西ではドイツに、そしてライン川を経由してオランダにまで連絡される結果となっています。もっともこれらすべてを走破した人がいるとしたらお金持ちのご隠居さんだろうと推測します。
この種の運河の立体交差は他に何か所かあるようですが、ロワール川に掛かるという事が人気の根源でしょうか。さらに言えばこの地域一帯の歴史がそれを補強しているのでしょう。
日帰り旅行の帰りに北に約20kmモンタルジー(Montargis)に立ち寄りました。ここはフランスのベニスとも言われ、町中運河だらけと言うか、それが見事に整備され町との一体感を表しています。古くは古代ローマ時代、いやそれより昔に遡ると言われ、多くの遺物が残っているようです。小高い丘の上に中世の城館跡が見られ、多くの水で防御された自然の要塞だったと思われます。街を散策しましたが特に新しい発見はありませんでしたが、町の中心部分に出て子供たちの楽団パレードに出くわしました。メーデーの日というのに子供のパレードとは?いや私共の歓迎か?と思いましたが、同時にパリと違った穏やかな環境を見た思いです。