フランスあれこれ94  自由の女神

「自由の女神」と言うと先ず思い浮かべるのはニューヨークですが、いや多分フランスにもあるはずだと考えるでしょう。

実はパリ駐在の最後の頃、我が家はその近くにありました。
パリ市内ではセーヌ川の一番下流となるグルネル橋の下、中の島の西端(下流側)に凛として立っています。右岸を少し下って見える女神の後ろにエッフェル塔が見えました。しかし不思議に思ったことはパリを背中にして下流に向かっています。ふと気が付いたのですが、方向は西、延長していくとアメリカです。ニューヨークを遠望している事になるのでしょうか。

 

ここでちょっと時代考証をしてみました。まずアメリカ合衆国独立(1776年7月4日)の100周年を記念してフランスがアメリカに自由の女神を贈り、1884年に塔が完成しました。つまりイギリスからの独立にフランスが拍手を贈ったという事です。

そしてフランスに住むアメリカ人が1889年フランス革命100周年記念としてパリに小型の女神を贈ったのです。そのフランスの女神がアメリカを遠望しているのは、イギリス人にとって余り良い気はしなかったでしょう。

日本にも自由の女神があるのをご存知でしょうか。私が帰国したのは1996年でしたが、丁度その頃当時のシラク大統領が再三日本を訪れています。日本もパリに日本文化会館を設立したり、日仏関係は極めて緊密で良好でした。そこでシラク大統領の提案で「フランス祭り」を1998年に東京で開催、その成功に感謝の意をという事でフランス経済界が自由の女神を日本に送ったのです。現在お台場公園の一角(フジテレビの近く)で右手を高く挙げています。私もいささかの関係(お手伝い)をさせて頂いたのですが、胸を張れることは、この女神像が三例目の公式な女神のだという事です。

日本にもアメリカにも、そしてフランスにも多くの女神像があると言われます。それだけ多くの人の心を引き付けているという事でしょう。
「自由の女神」の源はローマ神話“リベルタス”、像の原作者はマルセーユのポワチエ・アングレーム、彼の生地にも女神が立っていると言われます。

自由の女神の話をして欠かせないもう一点があります。ルーブル博物館に入ってすぐの部屋の壁に掲示されている「人民を導く自由の女神」ドラクロワの絵画です。
(以下余談です)この絵の背景は1830年の七月革命と言われています。ご存知の通りフランス革命は1789年。しかしこれはブルジョワによる革命でやがて王政復古、そしてこの七月革命で再構築、更に18年後の1848年には二月革命を経て共和制へと進み革命が完結に向かいます。

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