私のふるさと~奈良県五條市西吉野町5
9.子供の仕事
未開地ほど子供の仕事が多い。私は母に付いていたせいで百姓の仕事が多く、弟は力も強かったので父の山林業務を手伝った。村に精米所が出来るまでは学校から帰れば玄米を精米する米搗き。納屋の前に石臼が埋め込まれてあって、天秤になっている杵を踏む。杵は重いほど効率は良いのだが子供にとっては全体重を掛けて漸く持ち上がる重さ。1升搗くのに1時間は掛かったと思う。
母の実家は山の上の台地でそこそこの広さの田んぼがあって、田植えや稲刈りの時は近くに住む母の姉妹一家が集まる。田植えは勿論皆が並んで手で植えるが苗運びは子供の仕事、稲刈りやハデバ掛け( 刈り取っ稲を稲架に掛けて乾かす) 、脱穀(稲から籾を採る) 、唐箕 (籾と藁屑を風選別 )、 籾摺り(籾を摺って玄米と籾殻に分離)、千石通し(普通の粒の米だけを通し小石等の異物を篩い分ける)、などを手伝わされた。百姓仕事は同じ動作が延々続く、まさに忍耐との勝負であった。
「足元で泥鰌驚く田植えかな」小学校6年で俳句を習っている時母が代わりに作ってくれた句である。一番出来る子の「お地蔵の前に一つの柏餅」には及ぶべくも無いが…。
昔はイナゴの 佃煮やタニシの煮付けがよく食卓に登った。ホリドールを撒くようになってからタニシは取れなくなってしまったが、十年余り前、定年して中国に行った時同じ料理が出て懐かしかった。(この時はサソリのから揚げも出た。)
他には畑仕事、コクマ掻き、柴刈り、父が材木を扱っていたので貯木場での木の皮剥き(皮を剥かないと虫が入って食い荒らす)、時には 棕櫚の皮剥き(棕櫚の繊維は腐食に強いのでロープや束子用に使われた)や炭の 菰編み(夏に茅を刈って乾燥させ、雪で仕事が出来ない冬に編む。1枚編むと5円で当時アンパンが10円くらい)などもやらされた。
いろいろ手伝わされたが、小学校の頃はよく遊びもした。夏は川遊び、冬は雪遊び。家が川に近かったこともあって川の方から子供の声が響いてくると矢も楯もたまらず飛んで行く。丁度、川が流れを変えるところがあって山をうがち洞窟風な窪みが出来ていて結構深かった。釣鐘渕と呼ばれそこだけ流れが緩く、飛び込みに良い高さの岩もあった。日も当たらず寒いのだが唇が紫色になるまで浸かったものだ。雑魚釣りもしたし、夕方、岩陰の深みに鰻の仕掛けをして朝早く引き上げに回ったりもした。冬は今よりもっと雪が多かった。雪合戦は勿論、傾斜地を見つけては雪を踏み固め、底に竹を張った橇を作って何度も滑り降りた。
つづく
土谷重美