イラン追想(30)テヘランの思い出(17) 終


1978年の年末、筆者は特別救援機でテヘランを飛び立ち、イスタンブールに避難しました。
地方都市から始まった反体制派のデモが燎原の火のように広がり、首都テヘランの日常も大きく変わろうとしていました。夜間外出禁止令が敷かれ、日常業務も支障が生じており、会社から避難命令が出たのでした。
ちなみに、特別救援機も今はなきパンナム航空で、日本を出発したときと同じ航空会社の飛行機でした。(日本の航空機は危険なイランには寄港してくれなかったのです。)

避難先のイスタンブールで年を越し、1979年を迎えた早々に、日本への帰任命令を受けました。

1979年1月パーレビ国王は自らジェット機を操縦して国外に亡命しました。そしてそれまでパリに亡命していたホメイニ師が2月1日に帰国し、2月16日に革命政府が樹立されました。まさに歴史の大転換点でした。

やがて1979年11月4日、テヘランのアメリカ大使館が血気にはやる民衆に占拠され、大使館員が人質にされる事件が勃発します。
結局、人質が解放されるまで444日を要しました。

(下の写真は現在のテヘラン)

 

筆者は革命直前に脱出した後、イランを再び訪れる機会がありませんでした。
あれから40年の歳月が流れました。
20代半ばの一時期を懸命に過ごしたテヘランをいつか再訪してみたいと思っています。

最終回終わり

風戸俊城

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