追憶のオランダ(86)幻のゴリラ

これは1995年当時の話で、まだ少し生々し過ぎて書くのを少し憚られ、「オランダ点描」には書けなかった話です。2018年の今、時効でもないですがやっと今ならよかろうと思い、当時を思い出して書くことにしたものです。

1995年東京恩賜上野動物園(以下上野動物園)で故増井光子さんが園長をなさっていた頃、ゴリラの飼育も可能な新しい設備を用意してどこかからゴリラの家族を譲ってくれる先を探しておられたようでした。オランダの東部アペルドーンという町にある猿園「アーペンフル」がその情報を聞きつけ、私の勤めている会社に上野動物園への仲介を打診してきました。というのは、その猿園の園長の兄弟がたまたま私の会社で勤務していたことがきっかけだったのです。

アーペンフルはいろいろな種類の猿を広い敷地内で長年飼育して、それまでにもリクレーションで子供を連れて遊びに行ったこともありました。ゴリラについては既に2組の家族を飼育しており、そのうちの1家族(確か7-8頭だった)を上野動物園に譲渡することには前向きであり、我々も本社経由上野動物園と連絡を取り、また輸送に関する問題点などを詳細に詰める作業に掛かりました。

問題は、5月でもあり東京都の予算が既になく、急遽臨時の予算を組んでもらう必要がありましたが、当時の知事は青島さん、何とか博を間際で取りやめにした実績を持つ方だったので、この臨時予算も承認されるかどうか非常に不安がありました。しかし、非公式な話では感度は悪くなさそうとのことで、皆の期待が膨らんでいました。

当時ゴリラ飼育を担当されることになっていた方にも輸送時の対応・受け入れ態勢のこととか随分ご尽力いただきました(この方は後に多摩動物園長として転出されました)。そして、すべて本決まりになるかならぬかの寸前でした。急に思わぬところから横槍が入り、突然アーペンフルから正式にこの交渉の打ち切りを通告してきたのです。

ゴリラとか絶滅危惧種の動植物については、いろいろ国際的な条約等もあり厳しい制約を受けることは知っていましたが、このゴリラたちは人工飼育による動物でもあり、動物園同士その点についてはいかようにも調整できるものと我々は素人であるがゆえに安易に考えて心配はしておりませんでした。

その時知ったのですが、ゴリラについてはドイツ西部のある町にある協会の会長が最後になって「日本に譲渡することは認めない。」との最終決定を下したというのです。しかも理由は最後まで明らかにされませんでした。我々としては口惜しさに、何が背景にあるのかいろいろ考えてみましたが分からず、理由なき反対、日本はこの会長の覚えが愛でたくなかった、としか受け取れませんでした。

その騒動の後、私は一時帰国し大変申し訳ない結果に終わったこと上野動物園には深くお詫び申し上げました。さらに、数か月後漏れ聞くところでは、ヨーロッパ内の国になら譲渡は問題ないとかで、真偽の程は定かではありませんがその候補としてとしてフランス・スペインの動物園の名前が上がっていたようです。

日本では、ゴリラの飼育は難しいというのか?と思わずこの会長に聞きたくなりました。しかし、同時に協会の考え、会長の個性までしっかり掴めていなかったことが、結局はこちらの敗因だったと反省しきりでした。

宮川直遠

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