新加坡回想録(51)リトルインディア

シンガポールのセラングーンロード周辺にリトルインディアと呼ばれる地域がある。ここを訪れると、カレー粉やスパイスにジャスミンと線香などの強烈な臭いが溶け合って道路に漂っているからすぐにわかる。土産物屋の店先に置かれたラジカセからインド音楽が流れてきたり、サリーを着た女性が数人通りを歩いているのを見ると、まるでインドの街角に佇んでいるような錯覚に陥ってしまう。

あちこちのお店にはインドシルクや金銀細工などが並べられ見るだけでもエスニック気分満喫で楽しい。またバナナの葉に盛られたカレーなどを味わえば気分はもうインドそのもになる。彼らインド人のほとんどは南インド出身のタミール族である。シンガポールは元々イギリス領インドの一部であったのでこの辺りにインド人が集まってきたのは自然の成り行きだった。

1825年イギリスは大量のインド人労働者をシンガポールに送り込み道路やビルの建設に従事させた。 彼らはシンガポール建国の貴重な労働力であったのだ。セラングーンロードにイギリス人が住み着き始めたのは1880年に入ってからである。 この約7%を締めるインド人の生活を見るのもシンガポールの理解に役立つだろう。

1840年代には、当時の主な社交場であった競馬場があり、ここリトルインディアにヨーロッパ人が多くに住んでいた。また、牛飼いがいて、煉瓦釜があった。牛の売買が定着すると、そのほとんどがインド人によって売買されるようになった。商人がインド人移民労働者を雇ったためである。特定の商品やサービスがよく売れ出し、モスクやヒンズー教寺院が建った。

しかし、こうした場所も人も今は姿を消してしまった。この歴史的な場所の時間は止まったままのようで、花輪売り、モダンなレストラン、デザイナーズホテル、アート集団など、古くからある商売と新しい事業が隣りあって並んでいる。

現代のリトル・インディアは、シンガポールでも指折りの活気ある地区だ。セラングーン・ロードやその辺りの通りを散策する時には、混在するヒンズー教寺院、中国寺院、モスク、教会を見てまわるとよい。

お腹をいっぱいにするなら、南インドのベジタリアン料理や、北インドのタンドリー料理、ロティ・プラタ(丸いパンケーキ)やテタレ(マレーの「引き茶」)などの地元料理で。店員が熱いミルクティを「引く」姿に、ぜひご注目を――ちょっと面白いすばらしい演出だ。

ショッピングも、お忘れなく。24時間営業のショッピングモール、ムスタファ・センターには、電子機器から食料雑貨まであらゆるものが売られている。オープンエアのテッカ・センター、金細工店、サリー屋もある。中心市街に近く、ボヘミアンな雰囲気が漂っているために、リトル・インディアを自分の巣と呼ぶアーティストも少なくない。

ディパバリ(通常は10月~11月)やポンガル(1月半ば)の期間中にぜひ訪れてみるとよい。喜びに満ちたお祝いを楽しく見学できるだろう。

(西 敏)

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