新加坡回想録(56)娘がTVに!
その日は特に外出の用もなく一日中事務所内にいて、本社や他の支店との連絡や顧客との電話のやり取りに終始し平凡に過ぎようとしていた。夕方7時を少し回った頃一本の電話が鳴った。受話器を取ると、いつも親しく付き合いをしている会社の日本人マネジャーK氏からであった。
「西さん、直ぐにテレビを見て! 今、あなたの娘さんが出ているよ!」
「え!?どういうこと?」
「5チャンネルSBC(シンガポール放送)のニュースだよ!」
あとで知ったことだが、ある時シンガポール日本人小学校と現地の小学校(テマセック・プライマリースクール)との間で親善交流会が催されたそうな。その日は4年生の娘のクラスの生徒全員が相手校を訪問する日に当たっていた。普段の学校生活について話合った後、縄跳びやあやとりなどの遊びを披露して楽しんだそうだ。
その時、シンガポールを代表するSBC(シンガポール放送:5チャンネル、NHKみたいなもの)から取材班が来ており、生徒たちはインタビューを受けた。アナウンサーが何人かにマイクを向けて感想などを聞こうとしたが、英語が分からない生徒が多く困っていた。
3年生で移住した娘は、この時までに1年間ほど英語学校(ATT)に通っており少し話せるようになっていたので、アナウンサーの要求に応えることが出来た。そのインタビューの様子がSBCの7時のニュースで放映されたのだ。
たまたまそのニュースを視たK氏が私に即電話をくれたのだ。おまけにビデオにまで撮ってくれて後からいただいたので家族揃って見ることが出来た。事前に聞いておれば準備していたのだが、それも叶わないところ知人の機転でよい想い出の記録となった。
思えば、長女が初めて外国人相手に英語をしゃべったのは、家族でシンガポールに向かう飛行機で外国人CA(当時はまだスチュワーデスと呼んでいた!)相手につぶやいた「エクスキューズ・ミー、オレンジジュース・プリーズ」だった。たどたどしい日本語英語だったが通じて喜んでいた!
この子は小さいころから物おじしないところがあり、実は移住直後に日本人学校ではなく英語が勉強できる英国系の学校に行きたいと言ったのだった。理由を聞くと、外国人の友だちが欲しいという単純なことだった。娘の希望する学校へやってもよいと思わないこともなかったが、学費が2倍と高く諦めたのだった。
学費のことは娘に内緒にして、日本人学校があるから行けないんだよと諭して諦めさせた。ところが、後から通っている生徒がいることが分かって嘘がばれた。その代わりに、英語の家庭教師を週に2度、別に英語専門学校に通わせると見る見るうちに上達していった。好きこそものの上手なれである。
その時から1年後、放送局のアナウンサーにインタビューを受けて応えている姿は親として面映ゆくもあり成長の証を見るようでもあった。
帰国後、娘は勤める会社を突然訪れた外国人に少し相手をしたことを除いては特に英語を活かすことはなく、他人からよく勿体ないと言われる。ただ、度々出かける海外旅行では旅行会社のお仕着せプランを利用せず、殆ど自由旅行を楽しんでおり言葉で困ることもないようだ。
もうテレビに出ることもないだろうから、懐かしい想い出である。
(西 敏)