一外交官の見た明治維新(岩波文庫)

今年は明治維新から150年の節目の年。
この本は、アーネスト・サトウという若き英国人が外交官として幕末の動乱期から明治初め(1862年から69年まで)の間に自身が経験したことを書いたものである。英国公使オールコックやパークスの秘書官として、しかし、実際は公使以上に日本国中を交渉のため縦横に歩き回り、貴重な体験をし、まさに当事者として歴史の真っただ中で表も裏も見聞きして書き留めている。

彼は、若い時偶然手にした一冊の本からおとぎの国を夢見るように極東の日本に興味を持ち、ついに夢を実現している。彼が日本に着いた直後、生麦事件が起こり、その後始末の交渉からはじまり、薩英戦争・下関戦争等も経て、彼自身西国有力諸藩との交渉、同時に幕府との交渉にもあたっている。彼はずば抜けた語学力を発揮し、驚くほど速く日本語に習熟し日本語による約定書などもいとも簡単に英語に翻訳しており、また彼は日本語での話術も巧みで、彼に説得された日本人は少なくない。彼なしでは到底幕末の交渉が進まないほどであったようだ。

英国は、インド・清国と力による侵略を続けてきたが、なぜか日本には同じやり方はしていない。いきなりの武力を使わず、もっと巧妙にあまり表には出ず、しかし日本人自身が自ら体制を変えるように裏から操っていたかにも見える。そのために英国にとっては彼が果たした役割は大変大きなものだったと思われる。

ハイムに住むものとして、この本の中に、この近辺のことが出てくるので一つだけ紹介したい。
彼は非常に好奇心も旺盛で、ある時、横浜から高尾山に遊びに行ったり、また六郷で多摩川を渡り、溝ノ口を経て府中の大國魂神社にまで参詣に行っている。府中街道も通ったはずだ。外交官という身分ではあるが、外国人が襲われたりする時世にも拘わらず、自由に行動している。150年以上前の話である。

また、坂本龍馬については、さらりと一言、「この私が長崎で知った土佐の才谷梅太郎は、数日前京都の宿で三名の姓氏不詳の徒に暗殺された。」とのみ。同じ英国人のグラバーとも関係があったはずだが、この辺の記述があまりにさらりとし過ぎて、何か真実を知っていて、それには触れたくないように思えなくもない、下衆の勘繰りか。

なお、彼の姓サトウというのは、もしや佐藤で日本と何か関係があるのではないかと思ったが、そうではない。
父はスウェーデン系で後に英国に移住したのち彼が生まれており、その姓はSatowというもの。


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