サンタさんってほんとにいるの?(2)
サンタの話が続きましたので、リレーエッセイのような形で、もうひとつエピソードはいかがでしょうか。かれこれもう35年ほど前の話で、記憶が一部なくなっていたので、娘に連絡して事実確認をして書いています。
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12月上旬ともなると街はもうクリスマスムードいっぱいで、あちこちでイルミネーションがこれでもかと輝いている。特に、LEDが開発されてからは、色合いが微妙に違う複雑なものも出来るようになって、中にはもう立派な芸術作品と言えるものもある。
今でこそ日本でもそれぞれの街やお店が競うように装飾を施し、行きかう人の目を楽しませてくれているが、35年ほど前は今ではもう想像できないくらい何もなかった。ところが、赴任先のシンガポールで迎えた初めてのクリスマスはまったく様子が違った。街全体がきらびやかに彩られ、特に中心街のオーチャード通りに行くと、そこには見たことない景色が広がっていてまさに眩しい光の海だった。これは、昔、イギリスが統治していたことの影響だろうと思う。
上の娘が小学校3年生、下の娘が幼稚園の時だった。二人は、日ごろから欲しいと思っているものをいくつか挙げてサンタさんに手紙を書いた。サンタさんの存在については、幼稚園児はまだまだ信じ切っているが、姉の方も何となく疑問を持ちながらも確信が持てないような感じだった。その手紙で疑い深く「何頭のトナカイで来るんですか?」とかいくつか質問をしていたようだ。まだ少し疑いをもちながら。
そこで一計を案じた。娘たちの手紙に”英語”で返事を書いて枕元に置いた。ところ変わればで、どんな反応を示すか見てみたいと思ったからだ。丁度、上の子は英会話学校と家庭教師で英語を学び始めたところだった。勿論、すべては理解できないので、あくまでもサンタさんからの手紙の体で訳してあげた。やっぱりシンガポールだから手紙も英語で来るんだねと、その時は納得したように見えたが、クリスマスシーズンでも熱いシンガポールのこと、「まさかあの服装で来ないよね。アロハで海パンはいて、サーフボードに乗って来たりしてー。」などと話したことは覚えている。
後で聞くと、いつも一緒に遊んでいる友達の家でも、やはりサンタさんから手紙への返信があったけれど、そこには、日本語がローマ字で書いてあったという。その子はまだ英語を習っていなかったので、お父さんが気を使ってそうしたのだろう。この時、娘は、各家庭でそれぞれのパパが読み手のスキルに合わせて対応していることを知って、「やっぱりパパだ!間違いない」と思ったという。
上の娘は、欲しいもののひとつに「英語のミニ辞書」を挙げていた。小さいころからこまっしゃくれていて、話す内容も大人びたちょっと変わった子だった。我が子ながら面白い子だなと思い、翌日、さりげなく「これ使う?」と言って英語のミニ辞典を渡したらしい。(らしいというのは私自身はもう忘れていたが、当の娘の方は、はっきり覚えているという。)この時、「あ、手紙見とるな・・・サンタやな?」と思ったという。
もうひとつ、シンガポールに行く前の年に、新聞の4コマ漫画で、ある家庭のお父さんが「そろそろプレゼントを置こうかなー」という描写があって、「やっぱりそうなんだ!」と思ったという。どおりで疑っていたわけだ。
こうしてみると、子供たちも、周りで起こる様々なことから判断していろいろと考えを巡らせ、学びながら成長していくものだということよくわかる。3歳下の子は、ただただお姉ちゃんの言うことを信じてついていくだけだったようだが、もしかしたら、姉から聞いたことを自分の同級生に自慢げに話していたかもしれないと想像するのも面白い。
(八咫烏)