シンゴ旅日記インド編(その43)マイソールの巻

インドは英国の植民地でした。しかし大英帝国と言えどもこの広大な国インドを100%直接統治することは出来ませんでした。藩王国と言うのがあります。藩王国とは内政権はあるが外交権を宗主国に委任している国家のことを言います。英国が直接統治しないで、王家が統治する型の国でした。インドが1947年に独立した時に藩王国は大小合わせて560カ国、面積にして3分の1、人口の四分の1を占めていました。その中の一つがマイソール王国です。

この王国は18世紀にはウォルディヤール家が支配していましたが騎兵隊長であったハイダル・アリーが王国の実権を握り、国土の拡張を図り、その息子ティブ・スルターンの2代で繁栄を築きました。それを恐れた英国は1767年から1799年までに4回にわたり戦争を行いました。ハイダル・アリー亡き後の第三次マイソール戦争(1790年)では英国が勝利しティブ・スルターンは領土の半分を英国に割譲し、賠償金支払いの保証に息子二人を人質として差し出しました。そして第四次マイソール戦争でティブは戦死しました。勝利した英国は首都をハイダル・アリー親子が築いた城塞都市シュリランガパトナムからマイソールに移し前の藩主であったウォルディヤール家に藩王国を復活させました。そしてマイソールはその後の藩王たちが積極的に英国の都市計画を実行し競馬場や多くの建築物を立てたのです。

インド独立後もマイソール州として独立していましたが、1973年に合併によりカルナータカ州の一都市となってしまいました。マイソールの名前の由来は水牛の頭を持った悪魔マヒンシャースラに由来します。そしてその悪魔をチャームンディ女神が退治したという神話があります。

その女神を祀るドラヴィダ様式の寺院が同じく女神の名前が付く丘の上にあります。

マイソールはバンガロールの南西140kmのところにあり、車で3時間程かかります。

その途中の街道沿いの町々には特産物の名前が付き町の入口に立て看板が立っています。

スタートのバンガロールは『ガーデン・シティ』、途中で『トイ・タウン』、『シルク・タウン』『シュガー・タウン』『ヒストリカル・タウン(シュリランガパトナム)』を通過して『ヘリテッジ・シティ』と呼ばれるマイソールに着きました。今回はマイソールに入る前にハイダル・アリー親子が築いたシュリランガパトナムのサマー・パレスと呼ばれる離宮をまず見学しました。博物館になっており、絵画や武器などが展示されていました。宮殿は壁画の変色防止のため外側が日よけで囲われ、宮殿内は撮影禁止でした。
サマー・パレス見学後は女神を祀る寺院があるチャームンディの丘に車で登りました。この丘の上は標高1,062mあります。お土産屋さんも沢山並んでいました。駐車場やお寺の広場には本物の牛がたむろし、寺院ではお猿さんが観光客に果物をねだっていました。女神を祀る寺院は長蛇の列となっていましたので中に入ることを止め、隣の小さなシヴァ神のお寺を見学しました。そしてお土産を買い、丘を途中まで降りてナンディン(シヴァ神の乗り物の水牛)の巨像を見て、マイソールの町に入りました。

マイソールの名物は香木です。高級な線香に使用するサンダル・ウッド(白檀)です。
今まで欲しいと思って捜していたリンガのミニチュアを買いました。買う時に中国系の先客がいて2個あるリンガの内小さい方を買おうとしていました。そのお客に値段を聞くと200ルピー(400円)だと言いました。私は残る少し大きなものの値段をお店の人に聞きました。大きいので250ルピー(500円)との返事です。『じゃあ、要らない』と言うと『230、220、OK,200』と結局サイズが違っても同じ値段になりました。小さいリンガを買った客とはその後も同じようなコースを辿ったため2回ほど出会い、都度挨拶を交わすこととなりました。ちょっと気まずかったです。

丘から降りてマイソールの町に入り遅い昼食を取りマーハーラジャ・パレスを見学しました。
この宮殿はイスラームとヒンドゥーの様式が融合したサラセン様式と呼ばれる代表的建築物です。1897年に建設され火災で一度消失しましたが、英国人設計者により再築されたとのことです。内部もしっかりメンテされており、とても100年前の建築物とは思えませんでした。庭園で写真を撮り、宮殿に入るためヒンドゥー寺院と同じく裸足になりました。靴は入り口の横に無造作に置いていくのですが、誰かに盗まれないかと心配でした。そして宮殿建物の入り口で手荷物検査がありました。私が腰からブラ下げていたカメラに目を付けられ入場ゲートまで戻りカメラを預けて来いと言われました。私は手荷物バックの中に入れて直ぐに引き返し、ごまかそうかとも思いましたが、面倒になるのを恐れて裸足で広場の熱い石畳の上をトコトコと歩いて行って、入場ゲートのカメラ預かり所で5ルピー(10円)を払ってカメラを預けました。宮殿に戻り、中に入るとカメラ付き携帯電話で写真を撮っている人が散見されました。カメラ見つかったときにとぼけて100ルピーでも渡せば持ち込みが出来たのしょうね。
宮殿の天井画にはヒンズーの神々と一緒に背中に羽根のある天使が描かれているものがありました。キリスト教の影響をも受けているのでしょうね。
木製品のお土産の答えとバンガロールでの写真です。

丹羽慎吾

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