シンゴ旅日記インド編(その56)寅さん 天竺を語るの巻
お兄ぃさん、ちょっと声をかけさせてもらってよろしゅうござんすか。
さっきからお見受けしていますと、こんな飲み屋の食いモンを旨そうに食べておられますが、そんなに旨いもんでございますかね?えっ、久しぶりの日本の飲み屋なんで、何を食べても旨いもんだらけだっていうんですかい。へぇー、そんじゃ、どこかよその国にでも住んでいらっしゃるんですかい?えっ、インドですかい?遠いところでございますね。
まあまあ、お近づきのしるしに一パイやっておくんなさい。
ええ、あたしゃ、さっきからビール一本で、結構、出来上がってましてね。けっこう毛だらけなんでございますよ。おばちゃーん、シイタケの焼いたやつ頂戴。
お兄ぃさん、インドと言いなすったんですよね。インドと言やぁ、天竺(てんじく)、天竺と言えば三蔵法師、そして孫悟空でござんすな。それに沙悟浄、猪八戒の西遊記でございますね。孫悟空と言えばエノケンさんのオペレッタ西遊記、面白うございましたよ。死んだ親父が兄貴とあっしを浅草に連れて行って見せてくれましたよ。戦争が始まるちょっと前の昭和15年でしたかね、確かあっしが4つくらいの時でございました。歌い手さんは確か李香蘭さんでしたよ。
お酒が入ると昔のことをしっかりと思い出すもんでございますなあ。
でも天竺と言えば唐土(もろこし)の中国でございます。中国ではインドのことを天竺と書く前には『身毒』とか書いたそうでございますね。そして次に『印度』でございますよ。インドの川の名前をね、あれ、その~、そうそうインダス川って言うんですかい、それを声に出して言って、漢字に当てはめたんでございますのでしょうね。あれっ、インドにはインダスじゃなくって、ガンジスって言う川が流れているんじゃありませんでしたか。チャラチャラ流れるガンジス川ってね。
えっ、何でございますか、インドではみなさん立ちションベンをされてるって言うんですかい。
そりやあ、いいやね、立ちションベン良くぞ男に生まれけりってですかい。
ええ、日本でもね、ちょいっと前まで女の人でもやらかしたもんですよ。おばちゃんがちょっとかがんだなと思ったら、ぺロットお尻をまくって用を足したもんでございますよ。ですから四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水、粋なねえちゃんたちションベンてなことを申したんでありますよね。
おばちゃ~ん、おばちゃんも若い時はそうだったよね。えっ、そんなことは知らないって、それに今でも若いっておっしゃるんですか?お見それしやした、じゃ、ビールをもう一本頂戴。
お兄ぃさん、でもホテルでは西洋式の便所が多いじゃありませんか、あれでございますよね、あのパタンパタンとフタを開けるやつ、何て言うんでしたっけ、そうそう、風邪薬と同じ名前のやつね。ありゃ、いけませんや。あたしなんざぁ、こう、しっかりと腰を落とさないと何か、用を足した気になりません。モノが全部出て行った気がしないんでございますよ。それにあたしぁ、早飯早糞芸の内って申しましてね、じゃがんだって思ったら、スーッと出て行ってしまうんですよ。この前なんか用を足す前にケツ拭いちまいましたよ。えっ、おばちゃん、可笑しい?
そう言えば、昔の日本人はね、世界に三つの国しかないと思っていたんでございますよ。
日本、唐土、天竺のこの三つなんですよ。ですからね、昔しゃ、とびっきりの美人や嫁さんを褒める時にね、『よっ、三国一の美人』とか『三国一の花嫁だぁー』とか言いやしたもんですよ。
天竺って言やぁ、そりぁー日本から遠―い国のことと考えられておりやしてね、オランダの国から入って来たダリヤの花なんかも『天竺牡丹』なんで言ったそうでございますよ。えっ、インドのチェンナイってところに『天竺牡丹ダリア』って日本の居酒屋があるんでございますか?旦那がかなり年季の入った日本人で、奥様が日本語ペラペラのインドのご夫人ってんですかい。へぇー。
また、天竺って言やあ、あたしたちバイ仲間ではインド木綿のことを単に『天竺』って言うことがあるんですよ。
それにあのモルモットのことを『天竺鼠』って言うんだそうですな。なんでもオランダが昔、南米からヨーロッパに持ち込んだ時にリス科のマーモットと間違えたというんでございます。それでね、モルモットは実験台に使われますから他人に利用される方のことも『あの人は天竺鼠だ』って言うそうですよ。えっ、大阪の吉本というところのお笑い芸人に天竺鼠っていうお名前の人がいるってのですかい。へぇー、そいつぁ、知らなかった。
そいでね、笑っちゃいますのが、天竺を『唐(から)過ぎる』に掛けまして、『辛すぎる料理』のことを言うんだそうですね。『天竺みそ』、『天竺ひしお』なんてぇーのがあるそうでございます。
日本には天竺っていう屋号のカレー屋さんも多うござんすね。
そういやぁ、富山に天竺温泉ってぇーのもありましたね。あそこのかみさんにね、一時惚れちゃいましてね。しばらくご厄介になったもんでございますよ。天竺川ってもたしかありましたよ。
えっ、柴又の帝釈天様はインドから来られた神さんですかい?
わたしゃ漢字で書くから、てっきり唐土の神様かと思っていましたよ。
お兄ぃさん、インテリだね。おばちゃん、サバの照り焼きある?えっ、ないの。
インドの女(おなご)さん方は日本の男をどう思っているんでしょうね。ヤマト魂とか、サムライのように思っているんじゃ、ございませんか?えっ、インドの女性はみな西洋を向いているってですか?そんでもってインドの女性は外国人と結婚する場合は西洋の男が多いってですか、逆にインドの男性は日本の女性と結婚したいっていうのが多いのですか?へぇー。あっしが毎日取り扱っておりやす、統計の本にはそのようなことは書いてありませんでした。
天竺の人は肉を食べないんですってね。ヘェー、牛が神様のお使いなんですかい。それで牛を食べないんですかい。そりゃ、ようござんすね。肉なんてものは西洋人の食べるもんでやんすよ。日本人は肉なんてちょっと昔までは食べていませんでしたよね。義経や謙信や信長がステーキ食べて戦争したって聞いたことがありませんや。
おばちゃん、イカの天麩羅を、もう一皿頂戴。
お兄ぃさん、この『天麩羅』の由来をご存知ですかい?
天は天竺、麩は小麦粉、羅は薄い衣を表すんでございますよ。
まぁ、天竺から来た浪人が売る小麦粉の薄物って言う意味なんでしょうな。
江戸時代の戯作者が名付けたらしいんですよ。『天婦羅』って書くのは当て字だそうです。
なんでもね、この天麩羅ってのは、室町時代に入った来た料理らしいんでございます。ポルトガル語とかスペイン語が基になっているとも申しやす。たいしたもんでございますよ。たいしたもんだよかえるのションベン、見上げたもんだよ屋根屋のふんどしでございますね。
おばちゃ~ん、この天麩羅はころもばかりで身がないよ。
丹羽慎吾