シンゴ旅日記インド編(67)ビザ更新
インド駐在2年目となりました。(注 この日記の記載事項は過去の出来事です。)
インドの雇用ビザ、労働許可は今まで一年更新でした。
日本人駐在員は日本に帰国しビザを延長して再赴任し、こちらで労働許可を再取得していました。
昨年、日本人駐在員の間で雇用ビザの延長が帰国時に東京の領事館が受け付けないけど大阪の領事館なら更新してくれるとか、その逆とか、またはインドでしか延長できないとかちょっとした騒ぎになりました。
各地の日本人会から日本大使館に報告が行き政府間で雇用ビザの延長はインドで行うこと、期限は今までの一年から最高3年まで認めることで決着しました。
インドの省庁にとってのビザ延長の費用という利権に対する分捕り合戦がインドと日本と言う国を跨いであったのでしょうか。
今年になってその問題は下火になりました。
私の雇用ビザ/労働許可も4月が期限でした。
現地で延長すべきですが、4月から駐在員事務所から法人化することを理由に日本に帰国し新法人の雇用ビザを取得して再入国しました。
今回は2年期限の雇用ビザがもらえました。
ただし、その後のビザの延長はインドですることと記載されています。
インドに戻ってから今度は労働許可証の取得=外国人登録の手続きです。
昨年の外国人登録は簡単に済んだのですが今年は違いました。
外国人登録はビザに記載があるように入国後14日以内に行う必要があります。
私は3月下旬の水曜日にムンバイに入り、翌日の木曜日の午後に事務所のあるプネに到着しました。
私の会社の総務担当に早く登録手続きをするよう指示しました。
しかしその週は出勤日が翌日の金曜日しか残っておらず何も手続きをしませんでした。
翌週になると総務担当が登録手続きは昨年と大幅に変更になったので、新しく書類を取り直す必要があると言って来ました。
しかし、その週は法人化に伴い資本金の入金や登記手続きがあり忙しいので次の週に外国人登録の手続きをすることにしました。
次の週の月曜日は祝日でした。
水曜日が入国から2週間の私の登録期限になります。
総務担当に登録に行けるのは火曜日と水曜日の2日間しかないが大丈夫かと念を押しました。総務担当はインド流に問題ないと首を横に振り、火曜日で登録を終了しますと言い切りました。
登録手続きで昨年と変わったのは
① 入国して24時間以内にホテルあるいはアパートのオーナーから宿泊人あるいは間借り人であるとの証明書を取得すること、
② ②居住地の警察で在住証明書を発行してもらい、それらの証明書を添付し外国人登録を行う
ということでした。
総務担当が言うように登録期限の前日である火曜日に登録が終了すると考え、水曜日午後から客先を回り金曜日にプネに戻りそして土日を過ごして、次の週の月曜から水曜日までまた出張することにしました。
新たに必要になった書類のひとつである間借り人証明書は私の入国後24時間以内に取れませんでした。
と言うのは、私が借りている部屋のオーナーはアメリカに住んでいて、管理は親戚に任せているためです。でも何とか管理者の署名を貰ってきたようです。
もう一つの警察の在留証明書がなかなか取れませんでした。
総務担当は警察から期限前日というか私の登録予定日の火曜日の夕方に来いと言われました。
そして夕方に一緒に警察に行くと今日は担当官が帰ってこないとのことです。
そして私の申請の期限となる明日(水曜日)は警察の行事があるので処理ができないので木曜日に来てくれとのことでした。
私は火曜日に登録を済ませるつもりでおり、水曜から金曜まで出張予定にしていたのでプネにいないと説明しました。
そうしたら出張から帰った土曜日に来てくれとのことでした。
おいおい、それでは水曜日の期限に間に合わないではないかと思いました。
総務担当は警察の都合でと登録が遅れたので到着後14日以内のルールを守らなくても許してくれると言いました。
それで期限内登録はあきらめました。
きっと領収書のない支払いで解決するのだろうなと腹をくくりました。
出張から帰り、土曜日に警察へ証明書を貰いに行きました。
これまた、担当官不在で証明書がもらえませんでした。
そちらで土曜日の10時に来いと言っておいて何事かと思いましたが、ここはインドとあきらめました。
担当補佐は明日何時に担当官が来るか連絡するのでその時に書類を渡すと私に付き添った運転手に担当官の携帯番号を教えました。
翌日曜日です。朝11時に運転手から電話があり、警察から今すぐに来いと連絡があったので直ぐに迎えに行くとの連絡がありました。
二人して警察に出向きました。
事務所に入ると相変わらず担当官は不在で昨日と同じ担当補佐の人から言われました。
『今日は日曜だけどおまえのためにわざわざ出て来たのである』(運転手の通訳)
そして封筒に入った証明書を渡されました。
それを受け取り運転手と一旦掘立小屋のような事務所を出て、駐車場に戻りました。
私は運転手に聞きました。『一体いくら払えばいいのか?』
運転手が答えました。『2千ルピーです。』
彼はまた一人で警察の事務所に引き返し支払いを済ませてきました。
そして入国から14日を超えてしまった4月のある日に外国登録を行いました。
登録時間は午後3時から5時までなのです。
まず、午前中に総務担当が一人で登録局に行き私のアパートの遅延登録の根回しです。
そこで領収書のもらえないお金8000ルピーの支払があったと連絡が入りました。
そして午後は正規の登録です。
私も出向きました。入国後14日を越えた登録のため正規の遅延料のUS$30相当のルピー貨を払って手続きが終了しました。
今回はお金がいろいろかかりました。
また、今回は私の登録だけでなく、その前の週に赴任してきた増員者も同時に外国人登録を申請しました。
彼は初駐在であり、ホテル宿泊なので書類は直ぐに作成できました。
しかし、もめました。
外国人は年収がUS$25,000.-なければ承認できないと言うのです。
つまり、インドでの現地給与が10万ルピー(20万円)/月以上なければ登録承認できないと言うのです。
私の現地給与は10万ルピーとしたので問題がなかったのですが、日本人スタッフの現地給与は生活費の安いインドでの受け取りを少なくし、また新会社の費用負担を少なくするために現地給与を10万ルピー以下にして雇用契約書を作成していたのです。
登録局の役人さんはその雇用契約書をみて外国人最低年収ルールに違反しているとしたのです。
こちら側の言い分は日本のインド領事館では雇用ビザを発行してくれたのに、なぜプネでは労働許可が下りないのかと食い下がりました。
しかし、大使館と労働局ではルールが違うようです。
結局、日本人駐在員の現地給与を増やして10万ルピー/月として許可を取ることにしました。
この外国人最低年収US$25,000ルールは昨年の11月に出来たルールです。
これは中国がODAでインドの港湾整備建設などをしており、そのため大量に入って来る中国人労働者を追い出すためのルールのようです。
中国は他の国にもODAで資金+労働者を提供しています。
私の会社へは二人目の増員者がその翌週に来ました。
雇用契約書を作り直し、即座に申請しました。
そして入国後2週間以内の木曜日に申請に行ったのですが、受け付けてもらえずに戻ってきました。
理由を聞くと登録局で待っている間に停電となりコンピューターが止まったため処理できなかったとのことでした。
そういえば木曜日はプネ市の電力メンテ(停電)の日でした。
翌金曜日はGood Fridayで祝日結局月曜日に申請となりました。これがインドなのです。
丹羽慎吾
丹羽さんがVISA更新で悪戦苦闘された様子が目に浮かびます、この長文にその時々の想いがしっかり伝わってきます。 我々にとっては理解不能な理不尽な事が次々と発生して、その都度途方に暮れ疲労感が加速した事と思います。 ひと昔前と変わりない状況で、嘗て自分自身が経験した頃の事を思い出して、思わず笑って仕舞いました。嘗てインドでこの種の困難に直面した者にしか、中々理解し難いでしょうね。
話変わりますが、この時期馴染みの柑橘「ポンカン」が店頭に沢山並んでいます。独特の芳香が特徴の柑橘ですが、この柑橘の原産地は植民地時代の名称だったPOONA(現在のPUNE)に由来するもので、中国大陸そして台湾を経由して明治時代に日本に伝来し、現在は愛媛や南九州で広く栽培されているものです。
今朝このポンカンを食べた直後に丹羽さんの記事を目にして、思わず書き込みしてしまいました。