シンゴ旅日記インド編(88)我輩は牛でんねん 仏教滅ぶの巻
我輩は牛でんねん 仏教滅ぶの巻 (2010年11月記)
あんさん、お釈迦さんについて知ってまっか?
高血圧で心臓を上にした話かって?
モー、ちゃいまんがな。お釈迦さんの一族な、インドの北から来たアーリア人で、カーストで言うと2番目のクシャトリアて言われてますけどな、そんなんとは関係のないチベット・ビルマ族らしいでっせ。その頃はどこの国の王さんも自分はクシャトリヤですって言ってたらしいですわ。
お釈迦さんの一族も結構、見得っ張りでんな。
そやけど、日本の人はインドを仏教の国やと思ってるんとちゃいまっか。
そりゃ、インドはお釈迦さんが生まれた国やけど、インドの仏教徒は人口の0.8%でんねん。
ヒンズー教81%、イスラム教12%、キリスト教2%、シーク教2%、そして5番目が仏教でんがな。その後をジャイナ教、拝火教、ユダヤ教と続いていきまんがな。
そやさかい、仏教徒はあの頭にターバン巻いてはるシーク教徒よりも少ないんでっせ、というか、今ではインドではマイナーな宗教なんですわ。
エッ、どうしてインドで興った仏教がインドで滅んでしまって、他の国に拡がって行ったのか知りたいですって。あんさん、またまた、突然のご質問でんな。
まあエエですわ、いつものことやがな。
お釈迦さんが死にはったんを仏滅と言いまんがな、これが紀元前486年とか、紀元前383年か言われたまんのや。インドやから、まあ、エエ加減ですねん。
そんでお釈迦さんな、80歳で死なはったんでっせ。
きつい修業しはって、そんな歳まで、よう生きはったと思いますわ。そんで火葬ですがな。
その時な、大きな国が八つあったんで、舎利ちゅうか遺骨を八つに分けてそれぞれの国に納めたちゅうんですわ。これが仏塔、スツーパの始まりでんな。
日本にもありますんやで、お釈迦さんの舎利が、明治時代にタイから日本に贈られたんですわ。
そのお寺知ってまっか?名古屋の日泰寺でんがな。あんさんの地元の近くやがな。
そんで、お釈迦さんが死んで100年も経ちますとな、お弟子さんたちのそのまたお弟子さんたちがお釈迦さんの教えを勝手に解釈する人が出て来たんですわ。
その頃はお釈迦さんが言わはったことをお経にまとめてませんでしたんや。
そんで、お弟子さんたちのそのまたお弟子さんちゅうか坊さんたちが、何かにまとめなアカンいうて集会を開いたんやけどな、坊さんたちな、保守派と革新派に分かれるんですわ。
こんなんはどこでも、いつでもおんなじでんな。
けどその坊さんたちの集会ではインド人やから、一旦言うたら後に引きませんがな。
よう言われまっしゃろ、『国際会議では日本人にしゃべらせて、インド人を黙らせる』のが会議運営のコツやて。
そのまとまらん議論をまとめたんが、『論蔵』って言うんですわ。
それにお釈迦さんの説教をまとめた『経蔵』ですわ。
そして坊さんたちの規則をまとめた『律蔵』とあわせて『三蔵』て言いますねん。
この三蔵をよく知ってる坊さんのことを『三蔵法師』って言うんですがな。
知ってまっか『三蔵法師』。エッ、夏目雅子やろて?
ちゃいまんがな、ぎょうさんの『三蔵法師』がおるけど、日本で有名なんが孫悟空の出てくる、西遊記の元となった玄奘さんでんがな。
そう言えばな、この玄奘さんのお骨の一部も日本にあるのを知ってまっか?
サイタマのお寺にあるんでっせ。
でもな、玄奘さんがインドに行ったんわ、紀元後の630年頃なんやで。
そんなん、とっくにお釈迦さんは死んでまんがな。
それに、その頃な、もう仏教はヒンズー教に迫害されてましたんや。
そりゃ、仏教の盛り言うたら紀元前250年くらいのマウリア王朝の三代目で仏教を保護したアショカ王の頃でっせ。
そのアショカ王の息子さんな、出家してからスリランカに仏教に広めに行かはって、その島の仏教の開祖にならはったんですわ。
そこからビルマ、タイ、カンボジアなんかに仏教が広がったちゅうわけですわ。
これが南回りの『仏陀=お釈迦さん』やちゅう上座仏教ですわ。
ご利益を求めるバラモン教と違って仏教は個人のゲタツが目標でんがな。
えっ、ゲダツってなんやですか?
死んで生まれての死んで生まれての輪廻のサイクルから外れて、『仏陀の世界=涅槃』へ行くんがゲダツでんがな。
上座仏教はゲダツするにはお釈迦さんと同じ厳しい修業せなアカンちゅうんですわ。
その反対にな、きつい修業せんでも、悟りを開いた人にお祈りすればゲダツできるちゅうのが大乗仏教ですわな。
そんで、この人たちな、『仏陀=永遠の真理』ちゅうて、お釈迦さんを筆頭にヒトさんに教えに行く仏陀の化身は無数におるちゅうことにしたんですわ。
それが阿弥陀如来さんや薬師如来さんたちでんがな。
そんでもってお釈迦さんの言葉を書いて文字にして広めなアカンちゅうて、お経をようけ作ったんですわ。
般若経、法華経、阿弥陀経、華厳経みたいに何千ものお経を作ったんでっせ。
それらのお経を玄奘さんたちが苦労して探し出して集めて中国に持ち帰って一生懸命に翻訳したんですわ。と言うことで仏教が教団の内部で上座と大乗に別れたんが、仏教が滅ぶ一つ目の原因やと思いますわ。
二つ目はスポンサーがおらんようになったこととちゃいまっか。
仏教ってカースト制度反対、身分差別反対ちゅうもんでしゃろ、けど、修業するってお金がかかりまんのや。そのお布施は王さんや商人階級から貰ってたんですわ。
えっ、何で王さんがバラモン教でなく仏教を援助するのかって?
バラモン教てな、王さんよりも儀式するバラモンの方が位が上でっしゃろ、そんで王さんたちなバラモンの言うこと聞くのを嫌って仏教徒になったんですがな。
王さんたちは自分たちに命令するバラモンよりも小集団活動する仏教の方が好きになったんでしゃろな。
そんで王さんのなかからも仏教に帰依ひとたちがでてきましてな、大きな修道場の竹林精舎や祇園精舎を寄付しはったんですわ。
でもな、6世紀になると政治的な混乱から都市が衰退していったんですわ。
税金は入ってこおへんし、商売が上がったりやがな。
そうなると仏教教団にお金出してくれる王さんも商人さんも寄付するお金が無くなりますやろ、それに何と言っても、お葬式や結婚式や成人式はご利益第一のバラモンさんたちの独占事業やさかい、仏教教団はお金がなくなって、だんだん少のうなって行きましたんや。
それに輪をかけたんがバラモン教の反撃やがな、アーリア人の宗教やったバラモン教が地場の神さんをどんどん吸収して行ってからに、ヒンズー教と呼ばれるようになって来たんがこの頃でっせ。
何でもありでんがな。色の黒いシヴァさんやヴィシュヌさんたちをどんどんヒンズー教の神さんに取り入れていってしもうたんでっせ。
そして仏教のお釈迦さんもヴィシュヌさんの9番目の化身やっちゅうことにしたんでんわ。
やっぱりゲダツを求めるよりもご利益ですわな。
これは、いつでもどこでも一緒でんな。
そしてトドメはイスラム教でんな。知ってまっか。あのヘジラ。
イスラム教の教祖さんのメッカ征服が630年頃でんがな。
イスラムの人な、山からも、海からもインドに一杯来よったんですわ。
『右手に剣、左手にコーラン』ですがな。
お祈りしか出来ん仏教徒はもうあきませんわ。
追い出されるようにインドの北と南から東へ東へと向かって行ったんですわ。
けど、我輩な、インドで仏教が無くなったん本当の理由は、インド人には仏教が合わんかったんやと思いますわ。
そやかて、あんなにようけしゃべらはる人たちがジィーと黙って10秒以上も座禅組めるとは思えませんがな?
エッ、納得出来るってですか、お前もようしゃべるインドの牛やないかって?
そう言われるとそうでんな。我輩も納得ですわ。
そんなら、ついでに言わせてもらいまっさ、香川の金毘羅さんね、あそこの本尊って元はガンジス川のワニの神さんの化身って知ってましたか?
アカン、また余分なこと言ってしもた。これ話すとまた長くなるさかいにもう失礼しまっさ。
ホナ、サイナラ。(もっと言いたかったんは、金毘羅さんのある山の名前やわ、象頭山や、象頭って言うたらガネーシャのこととちゃうかなあ。)
丹羽慎吾