笑説ハイムのひろば50~「山ちゃん」こと 山里春夫

「ハイムのひろば」が外部からの投稿を受け付けるようになった経緯については前回詳しく説明したので、こちらを参照して欲しい。外部からの協力者・寄稿者として、これまでソフィー杉下饗庭シンゴの二人を紹介してきた。

今回紹介するのは、西野敏彦の元同僚で「山ちゃんの気まま旅」「山ちゃんの気まま農業」「山ちゃんの気ままグルメ」「今日の散歩道」など多くの連載でお馴染みの人物である。

山ちゃんこと山里春夫は、1948年、奈良県生まれ。満1歳の誕生日に行われた行事「選び取り※」では、”そろばん”を選んだ。「春夫ちゃん、将来は商売人になるんだ!」と家族・親戚の期待を一身に集めたようだ。そして、春夫ちゃんは成長して実際に有能な商売人となり商社で大活躍したのだから面白い。

※「選び取り」一歳の誕生祝いの行事 一歳児をすわらせ、その前に色んな物をならべて、赤子が何を手に取るかで将来を占うというもの。(因みに山ちゃんの場合は、竹製で塵取りを大きくしたような(田舎では テミと呼んでいた)農具に座布団を敷いてた。)

昔は・そろばん→商才。・お金→富裕。・筆→知識の3つだったが、次第に増えて行き、楽器(太鼓)→音楽の才、辞書→学才など種類も増えていった。親の望む職業があるなら、それをわざと赤子が手に取りやすい場所においたらしい。奈良だけではなく他の土地でもあるようで、最近では、物を置いたりするのが面倒なので、カードにしたものがアマゾンで買えるらしい。

小学生の頃、秋には父親と一緒に、自家所有の松茸山に大きな竹籠を摘んだリヤカーを引いて出掛けた。今の時代では考えられないが、リヤカー1台満載する程に松茸がとれて業者がそれを買い付けに来ていた。出荷出来ない様な傷物は自家用に煮物にした。大人には高価な食品だが、子供には煮た大量の松茸は苦手だった。毎年10月はうなされる程に無理やり松茸を食べさせられた山ちゃんは嫌で嫌で仕方なかった。

因みに松茸は赤松の樹齢が20年余から出始め、30~40年ぐらいの時に一番勢いよく発生するもの。この松茸山はその後開発され、奈良カントリークラブとなり、アウトコースはそっくり元の山ちゃん家の松茸山なのだ

父親が兄弟全員のメンバー権を受け取り、山ちゃんは高校生の時からメンバーになっていた。しかし、本人がゴルフを始めたのは40歳手前だというから何と勿体ない話である。 このように自前の山を所有するほどの環境で育った山ちゃんは、幼少時から溢れるばかりの大自然の中で暮らしていたのだ。花の図鑑に毎日記事を掲載できるほど花にも樹々にも詳しい理由が分かるというもの。(今日の散歩道」)

学生時代はワンダーフォーゲル部に所属する、その名の通りの山男であった。写真は、狩場山での冬合宿、右端が山ちゃん。現在と違って、当時の装備は原始的なものだった。現在はスキー板を短くしたような軽いスノーシューなんて物があるが、昔は、マタギが使う様なワカン(柳の木を曲げて作ったもの)を履いて、装備も重いものだった。

大学卒業後は商社に勤務し、冷凍エビ輸入販売業務に従事した。長年に亘って世界のエビを相当量取り扱った実績からすると、山ちゃんが輸入したエビが、きっと何処かでみなさんの口に入っていると思われる。

退職後は年金生活者となり現在に至るが、自由に動き回れるのは先ず80歳までと目安に設定し、次の目標を掲げている。

1)毎日2万歩以上のウォーキングを実施。北海道や北アルプスへの想い出登山を実施する為の体力強化。
2)奈良の生家の畑で野菜栽培、じゃが芋と玉葱は年間消費分自家生産。
3)四季折々に、気が向けば即、カメラを背負って出掛ける。
4)したい事だけして、気が進まぬ事は一切しない。

いやはや、西野にとってこの山ちゃん、まことに頼もしい協力者である。
今後とも、山ちゃんには絶大なる協力をお願いしたいと思っている。

(笑説「ハイムのひろば」の内容は限りなく事実に近い部分もあるが、登場人物をはじめすべて架空の物語である)

蓬城 新  

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