パリに赴任して最初に住んだのがシュレンヌという町です。パリの西にある郊外の町、凱旋門からブーローニュの森を縦断してセーヌ川を渡ったところです。ご近所の商店の一つに問題の美容院があり、その店の亭主がやさしい女系の旦那です。いつも家内が子連れで通りかかると、猫なで声で「ボンジュールマダム、可愛い坊やご機嫌いかが」といった具合。その隣が豪快な肉屋、亭主は男の中の男といった感じで肉切り包丁を俎板に叩きつけて「奥さん良いのが入っているよ!」
8月25日はパリ解放記念日。1944年6月のノルマンディー上陸に始まって連合軍がフランスからナチスドイツを追い詰めていきます。そして8月25日ドゴール総統がパリに凱旋。一方アイゼンハウアー将軍率いる連合軍はなおもドイツを東に向けて追跡しました。パリは重要拠点ではない、ライン川或いはルールの工業地帯制圧に急ぐとしたのですが、要はパリ解放と凱旋をドゴールに譲ったということでしょう。ドゴールとしては自由フランスという組織を結成、パリを中心とした地下抵抗組織と連携、連合軍と違った形で対ドイツ戦で連携していたのも事実だと思います。
かくして8月25日パリに凱旋、当日エトワール(凱旋門)からノートルダム大聖堂まで一大パレードが行われたようです。
さて話を戻して、1965年8月25日、当時第5共和国大統領となっていたドゴールが私共の街を通過します。目的地はシュレンヌの丘にあるモンバレリアンと呼ばれる古い要塞跡。そこにあるレスタンス運動で犠牲となった人たちへの慰霊碑参拝です。
通りは黒山の人盛り、やがて一行が近づいたのか何となく雰囲気が変わってきました。その時私の後ろから「ごめんなさい、通してください!」と聊か強引に人をかき分けて前に進む人がいました。これが冒頭にご紹介した髪結いの亭主です。本当に強引に最前列まで進みました。頃合いも良く、ドゴール大統領が通りがかります。制止を振り切って更に一歩前進、
「ドゴール総裁、フランスに栄光を!」ビックリするほど大きな声。
オープンカーのドゴール大統領は前方を直視したまま敬礼をしていましたが、この時ばかりはちらりと髪結いの亭主の方向に目が動いた感じでした。勿論両サイドの観衆からは「ドゴール大統領!」「ドゴール将軍」の声が沸き上がっていました。
家路に向かう時、店を放り出して見物に来ていたお肉屋の親父はいつもの元気と打って変わってにこやかな顔でしたが、なんとなく「あいつには参った!」と言う表情でした。

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