おぼろげ記憶帖 04 晴れ着(2)
東京オリンピックの翌年(1965年)から4年余りと20年後の平成元年から7年半余りの2度に亘り合計12年を夫の転勤に従いパリで過ごしました。
その間に幸いにもフランス人の結婚披露パーティーに3回招かれました。5・6月の北国の遅い春から夏への花々の咲き乱れる最高の季節です。会場は出身地や住まいの近くでそれぞれパリの少し郊外でした。ホテル・教会・レストランの庭にパラソル型のテントが張られていました。
シャンパンで乾杯の後はお祝いのダンスパーティーの始まり。最初は勿論新郎新婦。次は新郎と新婦のお母さん。新婦と新郎のお父さんという順序です。その後はどんどんと輪を広げて挨拶と共に踊るのです。華やかで賑やかで楽しいパーティーです。服装も長い年月の間TPOをわきまえた洋装で過ごしてきたファッション華やかな人達です。見ているだけでも楽しい時間でした。
という私は胴が長く、足の太短い完全な日本人体系。こんな時はやっぱり着物の出番です。フランス語の充分でない私を着物が助けてくれました。誰もかれも遠慮がちとはいえ、
「これ全部絹で出来ているの? 触ってもいい?」
と上から下まで触りまくり、遂には着物の裾をめくりあげて、
「これも絹?」
という有様でした。
原則的には一つの洋服には3系統の色を使い、その他はアクセサリーやスカーフで華やかさを補うフランス。日本の着物は何色もが混ざり合って調和がとれています。真反対の色使いの多さにも驚かれました。
面目躍如とした3回の晴れ着でした。頃合いを見てそれぞれに退出しますが若い人たちは夜明けまで踊り続けるとのことでした。
驚いたり感心したことが2つありました。
一つは結婚の届を区役所に出すと何月何日誰と誰が結婚します。異議のある人は何日までに申し立てをするようにと掲示板に公示されること。私達の出席した結婚式の一つは新聞に公示されたのを見ました。良家の慣習かもしれません。国境が地続きになっているヨーロッパには世界中の民族が集まり、国籍の異なる人たちの結婚も多いことから面倒が起きないようにという事のようです。
もう一つは最初の赴任から大変お世話になった方のお嬢さんでした。仏日の家庭でした。息子と同い年で幼稚園に行くまで片言の日本語とフランス語で仲良く遊んでいました。お祝いをどのようにすればいいかを尋ねました。デパートのブライダルコーナーにリストを作ってあるとのこと。何とまあ驚きました。新生活に必要な品物の大きいものから小さいものまで。価格の高価なものから廉価なものまでびっしりとリストアップされていました。予算に応じて選びお金を支払ってくればよいのでした。私達は初めてのことにたじろぎ選ぶことができず、金額を小切手に書き入れてお祝いにしました。そういう事も出来るようになっていました。何事にも合理的なフランス人の一面を見た思いでした。
AZ
*写真は、1965年開催の東京オリンピック開会式の様子(市川崑監督映画から)