笑説「ハイムのひろば」51~外部投稿者の協力

「ハイムのひろば」がオープンして約半年後、西野たちつくる会のメンバーは「ハイム美術館」を創設した。住民から絵画や写真、手芸・編み物から工芸品まで幅広い分野の作品が提供されることで、同じ趣味を持つ者同士の会話に花が咲いた。理事会報告などただの事務的なサイトから脱却してもっと楽しめるものにしたいという当初の目的が叶いそうで嬉しさをかみしめていた。

その嬉しい興奮が冷めやらぬうちにつくる会スタッフは、次の目標に向けて動き始めていた。それが「文芸館」であった。スタッフの中にエッセイを書いている人がいた。斉田英樹である。斉田は宮沢賢治や太宰治について人一倍の興味を抱き、主人公が訪れた場所に自ら足を運んで取材した上でその結果を書きとめていた。

この話を聞いた途端西野はこれだと即断した。多くの人が美術工芸品に興味をいただいているのなら、文芸を趣味とする人もいるはずと考えた。何も、本格的な作品でなくてもよく、簡単な日記や旅行記で十分だ。お互いに公開し合うことで、自分が経験していないことや他人の考えを知ることができる。読書の対象はプロの作家の書いたものでなくても楽しめるはずと思った。

1か月後に「ハイム文芸館」が出来て、住民の作品を提供してもらった。内容は、エッセイ、日記、旅行記、滞在記、詩、短歌、俳句と次第に幅を広げていった。こうして、美術館と文芸館でいつでも住民の作品を受け入れる形はできあがった。

数か月後、住民の作品をひと回り紹介し終わると、更新が次第に少なくなり少し寂しくなった。書きものの場合は、美術工芸品に比べると取り組んでいる人の数は少なめであったかもしれない。もとよりこれは致し方のないことだが、更新されないホームページは寂れてしまうという現実がある。

ハイム住民の作品が枯渇し始めたとき、スタッフは話し合ってメンバーの友人・知人にも声を掛けてみようということにした。当時すでに、住民でなくても外部で応援してくれている人が何人かいた。ハイムから始まったサイトではあるが、もとよりメンバー限定のサイトではなく世界に公開しているものだ。外部の閲覧者の中で、その趣旨に賛同し一緒に楽しみたいと思ってくれる人がいたら参加してもらうのもいいと考えた。

ひとり、ふたりと友人・知人に声をかけてみたところ、喜んで協力したいと言ってくれる人が現れた。この人たちは、ある意味でつくる会の活動を羨ましく思っていた人たちであろう。身近に同じ様なグループがいたならきっと最初から参加していたと思われる。

スタッフ間で話し合いをした時には、一部に、外部投稿者よりも住民の投稿を増やしたいという意見もあった。当然のことで、基本的には誰しもそうありたいと思っている。しかし、そうならない、できない現実をそのまま放置していると、全体の閲覧数が減少して既に掲載された住民の作品も見られないということになってしまう。

外部からの投稿が刺激になって、躊躇していた住民の投稿が増えてくることも期待できるであろう。ハイム内だけではなく、住民の友人・知人にも友だちの輪が拡がってお互いが楽しめる場を提供できるならこんな幸せなことはないと西野は思うのである

その、ありがたい協力者たちには、ソフィー杉下、饗庭シンゴ、山里春夫、吉田和文、土屋重三などがいる。いずれの人ももはやハイムのひろばには欠かせない強力な助っ人たちである。この機会に改めて感謝したいというのが西野の気持ちである

(笑説「ハイムのひろば」の内容は限りなく事実に近い部分もあるが、登場人物をはじめすべて架空の物語である)

蓬城 新

 

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