笑説「ハイムのひろば」54~クマノザクラをハイムへ(再挑戦!)

2018年3月、日本のサクラ属の基本野生種として「クマノザクラ」の発見が伝えられた。この発見は、1915年の「オオシマザクラ」の発見・命名以来約100年ぶりのことで話題を呼んだ。西野敏彦は、幼いころに慣れ親しんだ故郷の山林で見かける桜のことが大きく取り上げられたことに少々驚きを覚えた。

ニュースで聞いたとき、日本の代表的な花である桜の話題が出身地である熊野と繋がっていることに、西野は少なからず興奮と喜びを感じていた。そして、同じマンションの住民であり同じ熊野出身の江上和夫(西野は和歌山県新宮市、江上は三重県熊野市)から連絡が入り、「クマノザクラをハイムに植えられないか?」との提案を受けた時、一も二もなく賛成した。

2021年5月、江上は、購入して自宅(三重県熊野市)に保管していた苗木2本を車でハイムまで運んできた。宮下は、前もって出入りの植木屋に話を通してくれており、早速植木職人の手で植樹された。江上、西野もこの植樹に立ち会い、宮下とともに綺麗な桜の花が見られるのは2年後か、それとも3年後かとその時に思いを馳せた。

植樹後、数ヶ月間、近くを通るたびに苗木の様子を見るようにしていた。移植直後は根も傷んでいて本当にこの地に根付くかどうか気懸りではあったが、移植後に次々と出た新芽もだんだん大きくなるところを見ると、これは活着(ちゃんと根付くという意味)したとひと安心した。

後は、夏場を乗り切れば本物だと思っていたところが、暫くして事態は急変していった。新しく大きく広がっていた葉が突然先端から茶色に変色し始めたのだ。おかしい、これは何か変だ。植えた場所はビル風が多少気になる場所ではあったが、風による葉の傷みかとも思ったが、どうもそうでもないらしい。そして、新しい葉だけでなく次々と同じように枯れ始めたのだ。葉がかなり落ちてしまい、どう見ても枯れていくように思えた。

そして、結局は枯れてしまい夢は実現できなかった。土壌の問題なのか気候のせいなのか原因不明のまま断念せざるを得なかった。大江は一度失敗に終わったことながら諦めきれず、今度は、苗木を購入後一旦熊野市で植え、1年育てた後にハイムに植樹するのはどうだろうとアイデアを出した。

今年は丁度大規模修繕中でもあるし、1年の間に体力(樹力?)がついてよいかもしれないと前向きに考える西野であった。夢が実現するかどうかわからないが、再挑戦にご期待ください。
関連記事「クマノザクラがハイムに植樹される

蓬城 新

 

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です