フランスあれこれ99 ナポレオンの無念=フォンテンブロー城
1991年(9月12日付)の写真が出てきました。パリの南部に位置する広大な森=フォンテンブローの森にある城館の一角で「白馬の階段」(通称「別れの階段」)と呼ばれる螺旋状の階段です。
さて、ナポレオンの話です。1813年ライプツィヒの戦いに敗れ、パリが陥落、ナポレオンは急ぎフォンテンブローに帰還。パリ奪還を目指すも側近や部下に見限られ、退位を決しました。翌1814年エルバ島へ追放されることになり、側近や近衛兵を前に別れの挨拶をしたそうです。それがこの螺旋階段です。一説では自殺まで図ったと言われるほどの失望であったらしい。
内地の友人から送って頂いた「ナポレオンの戦場」を読んだあとのフォンテンブロー訪問で、この別れの階段に立った時、不思議に私も無念の涙が出ました。ナポレオンの無念を私自身の無念と感じた次第です。
エルバ島に流されたナポレオンはひと時の休養でこのままでは済まされないという思いになったのでしょう。翌年100日天下と言われるパリへの帰還を決行しています。それに失敗して、今度は終身のセント・ヘレナ島への放逐を受けます。南アフリカの西にある完全な孤島です。一説によるとこの地で毒殺されたとも言われますが、享年齢50歳でした。その後遺骨がフランスに帰還、現在はフランス革命の原点でもあるアンヴァリッドに。
(余談)フォンテンブローの森は比較的平坦で広大な森林に覆れています。歴代の王侯貴族の狩猟の地でした。12世紀ころ既に狩りの休憩の館ができていたようですが、16世紀のルネッサンスと共に華やかな宮殿に変化していきます。その上、歴代の王が増改築を繰り返して、多分フランス最大の宮殿になりました。最後はナポレオンが自分の館として愛用、彼の軍事拠点でもあったわけです。
ーご近所にミレーをはじめとするバルビゾン派の画家たちのアトリエが散在します。
(余談2)私説です。ナポレオンは幼少の時から既に戦略にたけており、幼年学校時代の雪合戦の話は有名です。その上軍隊でも次々にチャンスが訪れて昇格していきます。ところが彼の最後は天運に見放され奈落の底に落ちました。彼は天賦の才に恵まれましたが、彼を取り巻く人や時代が変わり、ましてや相手も変わり天候も変わる。こういうちょっとした隙間が重なって天運に見放されたと思います。会社で功績を挙げた人が役員になり相談役になっても現役の仕事に口を挟むのを見てきました。組織は生き物、組織の私物化は死物化だと思います。