福澤諭吉の「帝室論」について(その2)

前号では、あたかも現代にあって今の世相を憂えているかのような論説である「帝室論」のいくつかの文を紹介しつつ、それでは一体、「帝室を政治社外に高く仰ごうとする福澤の真意」とはどのようなものであったかを次号で考察したいと述べました。

少し結論を急ぎすぎるかもしれませんが、諭吉は自由民権運動の果てに国会が開設されたとしても、そこで繰り広げられる政争、権力争いを予想し、その挙句には国の行く末が危うくなりかねないことを危惧し、行く末を憂えていたのでないかと推測します。例えば次のような言葉からそれを感じ取ることができます。

「自由民権が非常に大切であるといったとしても、その自由民権を享受させてくれる国そのものが、侵略され、不自由でおよそ権力が無くなるような事態に陥ったとしたらどうするのか」

「昨今の時勢をみれば国会を開くことはむずかしくない。たとえ難しくても開かなければならない理由がある。しかしながら、国会開設をもって民権の伸長を希望し、ついに民権を伸ばすことができるようになったとしても、ではその民権を伸長する国柄(国体)はどんなものであれば満足がゆくものになるのだろうか。民権を伸長することができたとおおいに満足したところで、外から国権が圧迫されるようなものであれば、まったくのところ不満足なものになってしまう。寓話がある。『サザエが殻の中に収まり、愉快で安堵したと思っている。その安心しきっている最中に殻の外で喧嘩や乱上が起こったのを聞き、そっと頭を伸ばして四方を窺ってみたところ、なんと自分の身はすでにその殻とともに魚市場のまな板の上にあった。』という話である。」

いま改めて読んでみると、その先見性と慧眼に驚きます。諭吉は、そもそも政党というのは、おのおのの主義主張を異にするものであり、いったん政党を名乗っても、離合集散を繰り返し、結局は政権をめぐって、自分たちが権力を握ろうとするものだと見抜いた上で、そのような混乱が続くならばその先には、国の存立すら危うい状況に陥りかねないと警鐘を鳴らしています。

つまり民主主義はおよそ輝いて見えていても、欠陥が付きまとっており、容易にそれを除去できるものでないことを見抜いていたことになります。

その上で、諭吉は帝室の役割、求められるところを次のように述べています。

「帝室は万機、つまり政治上の重要事を統べるものであって、万機に当たるものでない。要すれば帝室は政治上の重要な事柄全体を統一的、調和的に納めるものであって、個々の問題の処理に当たるものではない。」

「まさに国会が開設されようという時には、特に帝室の独立を祈り、はるか政治の上に立っていただき下界に降臨し、偏りなく、党派性なく、その尊厳と神聖を永遠に伝えることを願っているものである。」

そうであればこそ、「お互いに争ってやまない双方の力を緩和し、一方に偏ったりすることのない公平な立場から双方を安らかな心にし、その気持ちをいたわって、それぞれが度を過ぎないように導く」力をもっているのは帝室しかないと主張したのでした。

風戸 俊城

 

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