北米大陸横断ルート66単独ドライブ」その11 東賢太郎

2010年7月12日、ミシガン湖の畔に位置するシカゴをアラモのレンタカー(韓国製ヒュンダイのコンパクトカー)で出発して9日目、ラスベガスから一気にLAを目指した。ルート66の終点は西海岸カリフォルニアのビーチ「サンタモニカ」。しかし夏の渚のボードウォークはさほど賑わっていなかった。当然だ、ビーチはここだけでなく、サンフランシスコ、その先のシアトルまで続いているのだから。

 

ロスアンジェルス(1781年〜Los Angeles、人口米国第2の都市)の都市名は、天使達(天使は本来男性らしい、その複数形がLos。ラスベガスのLasは女性形であるが、なぜ女性形かは知らない)米国各地の都市名の由来はキリスト教に関連する名が多い。

ロスにはディズニーランドがあり、米国の映画産業やTV産業の中心地で、ハリウッド大通りにはチャイニーズシアターがあり、その前の通りには有名スターの手形や足型が刻まれていることは広く知られている。私は学生時代にアメリカンフォークやC&Wバンドをやっていたので、アメリカ文化やファッションが好きだ。そんな店を回り、アメフトの皮ジャンや帽子を買い今も気に入って着ている。

ダウンタウンに日本人街リトルトーキョーがある。まずはそこを目指した。日本から北米への移住が始まったのは1884年。その後、日本人の漁民の茂田浜之助がここに日本食店を開いた以降、25世帯の日系人が住み始め、日系児童の為の学校もできた事がリトルトーキョー発祥のきっかけになった。

通りの交差点で道行く男性が日本語で声を掛けて来た。「日本人でしょう。宿探し?」身長は私と同じぐらいだが、がっしりした体格で頭は丸刈りで鋭い目をしていた。「安いホテルありますかね?」「ほらあそこもここも。俺はこっちのダイマルホテルに泊まってるけど」

築100年は経っていそうな古ぼけた建物で、入口から細い階段を上がると、廊下で細く小柄な爺さんが応対した。日本人だ。「ネット?部屋は無理だが、ここなら繋がるよ。一泊30ドル。どの位いるの」 この種のホテルに泊まるのは一般の観光客でなく、1ヶ月〜2年3年と滞在する人々だ。この界隈で仕事する日本人がアパート代りに利用したり、何年も海外を放浪する旅人がしばし羽を休める目的で滞在する人が多い。

部屋を見せてもらいながらホテル内をチェックした。何人かの客とすれ違ったが、東洋人が多く白人もいた。気のせいか皆目つきや表情がどこか怪しげで暗い。決して悪い人々ではないはずだが、私を目部見するかのような視線をちらりと浴びせる。私はどこでも国籍問わず老若男女誰にも臆せずすぐ声をかける「コンチワ!」と。すると「おや?」という顔がすぐ笑顔に変わり「日本人?」しばし立ち話。その男は「もう半年滞在している。物書きだ」と。米国の中古車を買って日本に送って販売している男性もいた。誰も彼も一癖(悪い意味ではない)ありそうな男ばかり。女性客はゼロ。当然だろうな。

ダイマルホテルの主人は台湾人のおばちゃんだった。私が「どこか音楽のライブハウスを教えて?」すると迷惑そうな顔で「知らないよ、他の人に聞きな!夜のダウンタウンは気をつけるんだよ!」

2日目は近くの15階建の古いホテルに移動した。夜中、ライブハウスの帰り、暗い夜道、ホテルの回転ドアを回して中に入った。その瞬間エレベーターの前で人が刺される瞬間を目撃。その悲鳴を聞いてフロントの男が出てきた。しかし私は何事もなかったようにその現場のエレベーターのボタンを押し15階の部屋へ戻った。

その後、事件を知らせる館内放送も無く、ベッドで熟睡した頃、今度は窓の外でサイレン!15階の窓から見下ろすと、下からはしご車が伸びて来た。下の階で小火騒ぎだ。しかし、館内放送無し。何という国なんだ!「自分の身は自分で守れ!」の国だ。

ロスは3回目、以前高校生の娘とも二人で滞在したので先を急いだ。

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