イラン追想(その9)映画「海難 1890」が描くトルコとイラン

映画「海難 1890」をお奨めします

日本人として知っておくべき、イランとトルコが関係するふたつの史実。感動します。涙なしには観られません。

時は1890年と、もうひとつ、約100年後の1985年。それぞれにおいて日本とトルコの友情と絆が見事に描かれます。

まず1890年といえば、大日本帝国憲法が施行された年です。それこそ日本が坂の上の雲を目指していた時代の真っ只中です。そして、1985年にはイラン・イラク戦争が激化していました

この作品を通じて、主演女優である忽那汐里(くつな しおり)さんを知りました。彼女は、時代を超え、二人の日本人女性を演じます。(次のウエブサイトで紹介記事があります。忽那汐里 「海難1890」の撮影で苦労した喋らない演技への挑戦

ひとりは和歌山の島で村医者の手伝いをする女性。ある出来事で、失語症となった女性を演じます。科白が一切ないままに。しかし、彼女の立ち居振る舞い、表情、行動は、豊かな言葉にも匹敵するメッセージを観客に伝えてくれます。(加えて、漁村のひとたちは、素朴ながら折り目正しく、他人を助けることを厭わない、当時の日本人の姿を見せてくれます。)

もうひとりの女性は、動乱のイランで働く日本人学校の教師です。役の設定とは言え、彼女は美しい英語を話しています(忽那汐里さんは14歳まで豪州で育ったという)。戦火のイランから脱出する緊迫したシーン。彼女のきらりと光る演技が印象的です。

ところで筆者は、イラン・イラク戦争よりもっと前、1978年末、大晦日の前日、革命前夜の様相を呈していたテヘランから脱出しました。会社の仲間とともにトルコ、イスタンブールに逃れたのです。そのとき救ってくれたのがいまはなきパン・アメリカン航空の特別救援機でした。

灯りを落としたテヘラン・メヘラバード空港で、僕たち乗客は駐機されているところまで歩かされました。暗い機内にたどりつき、着席しベルトを締め、固唾を呑んで出発を待ちました。やがて徐ろに滑り出すように動き始め、ぐんぐんスピードを上げて、飛行機が滑走路を離れました。戒厳令下のテヘランの町並みが暗い闇のなかで眼下に広がり、ようやくところどころに灯りが目に映ったとき、機内でいっせいに拍手が沸きあがりました。

26歳だった、あの時のことは忘れることが出来ません。この映画は、そんな個人的な思い出も蘇らせてくれました。

 

風戸俊城

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です