予想もしていなかった非日常の事態が突如起こることがある。平穏で無事な生活が、ずっと未来永劫続くなどと思わないほうがよい。
もう40年近くになる。初めて赴任したイランでは、地方都市から始まった反政府運動が首都テヘランにも波及してきていた。街中では、どこからともなく集まってきた民衆がひとつの塊になり、非合法のデモ隊となって練り歩くのも珍しくなくなっていった。彼らは、掛け声を規則正しいリズムで、歌声にも似た旋律に乗せて、反政府のスローガンを乾いた空に響かせるのだった。警官隊が現れると、蜘蛛の子を散らすように逃げていく様は滑稽な劇のようだった。それが国中の混乱と反乱にエスカレートし、やがてクーデターに発展するなどとは、そのとき誰が予想しただろうか。
小さな混乱が重なり、いわば日常化して、だれも大きな不便とすら思わなくなったある日、僕は総務担当の駐在員から呼び出され、彼の個室に出向いた。当時テヘラン法人のオフィスは一人か二人の個室に分かれた造りになっていた。
「実は、通信が途絶してな。電話もテレックスも通じないんだよ。ついては、君にこの事務所と工事事務所のテレックス鑽孔テープを、イスタンブール事務所に持ち込んでほしいんだ。ハノメ・キアンに明日朝のイラン航空のイスタンブール行きの便を予約するように頼んだから。」
ハノメとは女性につける敬称、キアンは秘書の名前だ。当時は、国際通信はほとんどテレックスに頼っていた。国際電話は緊急で重要なときにしか許されなかった。それだけ費用がかさむものだったのである。
テレックスの通信手順はこうだ。まずローマ字、英語の文章をテレックス入力機械のタイプライターで入力する。入力データは媒体としての紙テープに記録される。つまり、文字情報が紙テープに空けられる小さな穴の配列でアルファベットとして記録されるわけだ。そうやって作った送信用テープをテレックスのリーダー部にセットしてから電話回線を接続する。そこでテープを流すと元のローマ字、英語の文章が読み取られ、送信されるという仕組みだった。(続く)
風戸 俊城