漢字の感じ
高校生のころだったと思いますが、「世論」が「よろん」でも「せろん」でもいいことになりました。「せろん」は響きがなんとなく安っぽく感じられ、気づいてみれば今でも「よろん」と読んでいます。
その後、「独擅場」(どくせんじょう)を「どくだんじょう」と誤読して、「独壇場」と書く人が増えたので、認められるようになりました。今でも「独壇場」(どくだんじょう)を国語辞典で引くと、誤読だと書かれています。
働き始めた頃、「しんぼう」を「辛棒」と書いたら、大先輩に「辛抱」と直されました。「え」? 辞書を引いてみると、当時私が使っていたS社のには「辛棒・辛抱」の両方が載っています。有名なI社のには「辛抱」だけ。
やりとりを聞いていた別の先輩、「S社のは品がないからI社のを使いなさい。」
なるほど、辛さを抱えるから「辛抱」です。素直に仰せに従いました。
今では辞書はもちろん、パソコンの変換候補にも「辛棒」は出てきません。
割合最近の話ですが、「代替」(だいたい)を「だいがえ」と誤読する人が増えたので、ついに、「だいがえ」でも認められるようになりました。
「昂」・「嵩」・「讃」が常用漢字から外されたので、「激昂」は「激高」に、「嵩じる」は「高じる」、「讃美する」は「賛美する」。「稀」も同じで、「稀有」(けう)は「希有」に、「古稀」は「古希」に。
発音は同じでも、文字から受ける感じが全然違いますよね。
なでしこジャパンの澤穂希さん、なんで「ほまれ」と読めるんだろうと、かなりの間、謎でした。ある時、ふいに気が付きました。稀(まれ)が希になったからです。う~ん、なるほど。
人名はもともと、アルファベット以外、ひらがな、カタカナ、許容漢字の範囲内でどうつけてもいいことになっています。(初の例外が「悪魔」くん。裁判沙汰になりました。覚えておられますか?)しかも読み方は届けませんから、どんな文字をどう読ませてもよいわけです。
サザンの桑田佳祐さん、本来は「よしすけ」で、「けいすけ」とは読めません。けいすけと読ませるのなら「桂祐」か「圭祐」のはず。ですが、彼の影響絶大、佳をけいと読ませる人が急増して、今やパソコンで「けい・・」と打つと、変換候補に佳のつく人名をたくさん挙げてきます。
最近は、音読みと訓読みの一部ずつを組み合わせたりして、読みにくい名前が増えています。キラキラネームです。親がそれだけ思いを込めて命名するのでしょう。
ところが、実は今、戸籍の名前にふりがなを付けることが検討されているのだそうです。許容範囲をどうするかが大問題。
ひとつの案では、漢字から想像できるものはいいとかで、例えば「大空」をスカイ、「光宙」をピカチュウなら〇、「太郎」を じろう、「高」を ひくし は✕となるそうです。カタカナにするか、ひらがなにするかも案がまとまっていないようですが、スカイはともかく、ピカチュウは廃れるかもしれず、子どもが大きくなったら、読み方を変えたいと思わないでしょうか。戸籍訂正の手続きを取るのでしょうが、今なら簡単にミツヒロと読み替えられるのに、面倒ですよね。
文字は生き物。時代に連れ変化していくのが当たり前なのかもしれませんが、時々なんだか寂しいと思います。
と、こぼしたら「夏目漱石や芥川龍之介が文庫本になった自分の作品を読めば、もっとそう思うよ」と言われてしまいました。
ごもっとも。