新加坡回想録(57)紅白歌合戦

家族でシンガポールに移り住んで、日常生活ががらりと変わるのは当たり前のことである。海外生活について先輩たちにその経験をいろいろと伺うと、出てくる話はやはり医療事情や食糧事情、子供の教育の問題など生活に密着した話が中心で苦労した話が多い。

その点シンガポールは、医療、食事、教育、どれをとっても大きな問題にはならず、当時、世界中で最も恵まれている国のひとつと言われていた。唯一の不満は気候のことくらいで、ほとんど一年中暑い夏が続くので四季のある日本が恋しくなるのである。赤道直下で涼しさが欲しくなるという無いものねだりの発想だ。

娯楽面では、テレビを見ることがほとんどない。英語放送はあっても日本語放送がないので特に子供たちは見なくなる。ニュースは日経新聞があるのでさほど問題にはならない。生活のほとんどの面で他の国より恵まれているのだからそれくらい我慢すべきであろう。

彼の地に移り住んで初めての大晦日、紅白歌合戦を見ることができないのが何となく不満な人が多かったようだ。単なるテレビの歌番組ではあるが、それほど日本人の心に奥深く入り込んでいたのかと今更ながら思う。しかし、我々が在住している間に、その「紅白」も見られるようになったのだ。

多くの日本人が利用するあるホテルが気を利かせて日本でビデオに録り、直ぐに航空便で届けるという快挙をやってのけたのだ。年が明けてから、ホテルのロビーに置かれた大きな画面で数家族が集まって視ることになる。シンガポールに近いマレーシア・ジョホール州東部のリゾートホテルでは、毎年必ず「紅白」を撮り正月に見せるということで評判をとっていた。

恵まれた環境の中で過ごした5年間であったが、さらに思いもよらず「紅白歌合戦」まで見ることが出来たという贅沢な話でした。

(西 敏)

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