荻悦子詩集「樫の火」より「樫の火」

樫の火

空から
うわの空へ
肉塊や果実を投げて
ようやく七曜を繋げて来た

庭にある炉に古い樫の薪を入れる
二十年余り納屋に積まれていて
樫の薪には虫がつかない
ひび割れているが
灰色の樹皮は剝がれていない

堅い樫は火力がある
火持ちが良い
長く燃える火で
落ち鮎を焼く
遠くから来た七面鳥を燻す

風に揺れる茅草のように
冬の水辺にそのようにと思いなし
失うものなど何もないとうそぶいた
まやかしだったと
その嘘も燃やす

樫の木はかって炭に焼かれた
樽や四角い櫃になった
桶職人の佐倉さんが泊まり込んで
桶や柄杓の柄を作ってくれた
佐倉さんはそのあと郵便配達人に転職し
毎日のように笑顔で庭に入ってきた

離れの土間には猟犬のパルがいた
ビーグル犬と柴犬の混血だった
母がパルの食材を計るのを見て
私は心底驚いた
決った食事をしなくても
犬ならば生きて行けると思っていた
パルにご飯が要るのと訊いて
母にひどく叱られた

日の当たる水辺に
茅草のようにと念じながら
その茎に合わない洞を抱えた
十歳の冬のころ既にあった

熱い炉の中
幹を縦に八つに割った樫が反る
ひらりひらりと炎がゆらぎ
灰を散らさずきれいに燃える

夏には
母が熱中症で入院した
佐倉さんが見舞いに来て
枕元で腰をかがめて話をした
佐倉さんも老いていた
いくら勧めても
とうとう椅子に座らなかった

母は間もなく回復したが
佐倉さんが亡くなった
腹痛を訴え救急車で運ばれる時
掛かりつけの病院を望んだのが不運だった
総合病院へ行っていれば・・・・・・

熱い炉に寄ってきて
隣人たちが交わす繰り言
憶測や
悔やみきれない悔恨を
樫の火で燃やす

空から
うわの空へ
燻される肉の匂い
樫の火の煙
枇杷の花

戸を開けて
犬を放してやろう
パルは石塁を駆け上がる
裏山に樫の木はもうない
パルはすっかりビーグルに戻って
杉の森の暗がりに紛れてしまう

荻悦子(おぎ・えつこ)
1948年、新宮市熊野川町生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。作品集に『時の娘』(七月堂/1983年)、『前夜祭』(林道舎/1986年)、『迷彩』(花神社/1990年)、『流体』(思潮社/1997年)、『影と水音』(思潮社/2012年)、横浜詩人会賞選考委員(2012年、16年)、現在、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会会員。三田文学会会員。神奈川県在住。

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