金婚式を記念してエーゲ海・アドリア海の旅(その3)

(令和元年 10 月 29 日~11 月 4 日)

秋のエーゲ海・アドレア海 クルーズ体験記

★12 月 1 日(日)
ドバイ着  05:45  到着後乗り継ぎの時間が約 4 時間あり、大きなドバイ空港内をうろついた。

ドバイ出発:09:35   EK135

エミレーツ航空 135 で空路イタリアのベニスへスケジュールでは 4 時間のフライトだが、時差があり、ベニスまでの飛行は疲れた。

先ず、座りどおしなので、お尻が痛くなり、到着一時間前には通路で立っていた。久しぶりの飛行機での長旅、歳を感じることになった。

頭上の入れ物へ荷物を入れるのに手伝ってくれたので、飛行機の隣に座った若者と少し話をしたら、インドの「DANIELI」社の社員でインドからベニスへ仕事で行くとのこと。名刺を交換したら、Mr. Victor Logistics Manager,  Import  &  Export  で感じの良い青年だった。(帰路にベニスで再会するとは考えもしなかったが。)

途中で、キャプテンからの報告で、ベニスは高波の影響で水没しているとのこと。それ故に船(MSC)はベニスから乗船出来ずにトリエステ港からになる。

ベニス港からトリエステ港迄は船会社のバスが送ってくれるが、先ずはベニス港で荷物検査などをした。ベニス港湾局の段取りが悪く、重い荷物を 2 階や 1 階に運ばされたのには参った。ベニス市自身は多くの島からなっているが地下水のくみ上げなどの影響で地盤沈下が激しい。

昔、ボローニャへ業務出張した時にベニスを訪ねたことがある。その時にはゴンドラにも乗ったが、海水がビルの 2 階近くまで来ている運河(水路)をゴンドラで回ったが、水の色は濁っていて、写真とはかなり違った様子だった。いずれ地盤沈下がもっと進んで、有名なサンマルコ広場などは水面下になるように思われた。水が増えたのなら船の運航には関係が無いと思われるのに、何故に海の港が利用できないのか不思議だったが、どうやらベニス市当局が大型船の入港を制限しようとしていたようだ。ベニス港からトリエステ港までバスで約 2 時間半かかった。

トリエステ港へ行くのは、イタリア半島を南下するとばかり思っていたのだが、実際には、ベニスから北東に走っていた。このトリエステはアドレア海の最深部にある都市で人口が約20万 人。スロベニアとの国境の都市だった。第 1 次世界大戦までは長らくオーストリアーハンガリー帝国の統治下にあったようだ。第 2 次大戦後は一時、国連管理下の「自由地域」だった。そんな港にやっと着いて、「MSC マニフィカ号」に乗船した。ぎりぎりの乗船だったので、直ぐに夕食の時間となった。

クルージングの旅は愉しいが、船に乗るまでは飛行機とバスの旅で大変疲れる。

船は午後 6 時過ぎにトリエステ港を出港した。旅の初日のこととて、食後はキャビンでゆっくり。客室は大きな鏡もあり、清潔であった。明日の朝には南イタリアのバーリに着く筈だ。

 

小原一浩(おはら かずひろ)

1939 年大阪生まれ。
「NPO 法人ふれ愛さやま」事務局長
大学卒業後、メーカーに勤務し、インドネシア、大阪、東京、名古屋、滋賀県守山市での勤務を経て1999年定年退職。その後NPO 法人ふれ愛さやま、訪問介護事業所などを設立。大阪狭山市議会議員を2011年から2 期 8 年務める。
『人と違った生き方を!』(文芸社 2019 年)など5冊の著書がある。

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