金婚式を記念してエーゲ海・アドリア海の旅(その2)
(令和元年 10 月 29 日~11 月 4 日)
秋のエーゲ海・アドレア海 クルーズ体験記
☆11 月 30 日(土)
集合:関西空港 20:30
場所:第 1 ターミナル国際線出発ロビー4F
団体受付カウンターNo.11~12
「クルーズプラネット」カウンター前
集合時間の 1 時間半前に関空へ到着したのは、先月の中国旅行で参加する予定の神戸からの知り合いが、バスが遅れて参加できなかった事があるからである。
何事も余裕を持っておく必要がある。今回のツアーは東京から 17 名、大阪から 34 名で合計51 名だった。この人数は団体としては多いのだろうか、添乗員は大阪 2 名、東京 1 名だった。
深夜の出発なので、関空で軽目の夕食を摂ったが、機内食が直ぐに出たので実際は不要だった。
関空で両替することにした。船の中ではカード支払いになるので、ユーロへの両替は 4 万円だけにした。大体、1ユーロを 130 円ぐらいに見とけば良いようだ。
関空内のユニクロでプール用にとゴムのスリッパを買ったが、あまり役に立たなかった。
スケジュールどおり、23:30 にエミレーツ航空317便で乗り継ぎ空港ドバイへ。
以前から欧州へ行くのに南回りは時間がかかる上に危険性が高いと言われていた。北回りのシベリア経由だと日本を朝に出ればその日の内に到着するので、翌日の仕事までに一泊の余裕があり、これは時差ボケを考えると助かったものだ。しかし、アルプスの南に位置するイタリアのベニスへ行くのには南回りが通常なのかもしれない。それとも値段の関係かなどを考えながら、ドバイ迄の11 時間余の長旅に耐えた。
人から「ドバイ」は凄いと聞いていたが、想像していた以上に大きく立派な空港だった。中東地方のハブ空港で今では乗客数が世界で一位らしい。
ドバイはUAE(アラブ首長国連邦)の6首長国の内の 2 番目に大きな国で人口が約 330 万人。
☆コーヒーブレーク
ドバイ(UAE) アラブ首長国連邦を構成する首長国のひとつで、ドバイ首長国の首都。人口約 330 万人(2,019 年 9 月現在) 中東屈指の世界都市で金融センター。多くの超高層ビルや巨大なショッピングモールが建設され世界的な観光都市と なっている都市国家である。ペルシャ湾に面し、昔は漁業や真珠の輸出を産業とする小さな漁村だったが、1830 年代に移住してきた現在のマクトウーム家が建国。第 2 次大戦後に近代的な都市にすることを夢見た首長は外資を導入し近代化を図った。クエートからの借入金でドバイ・クリークの浚渫工事を実施し、中継貿易として成功させそれ以降大発展して行く。1966 年には海底油田も発見されたが、原油依存経済からの脱却への取り組みと産業の多角化を推し進めた結果 1970 年代からわずか 20 年間で大変貌を遂げ、国の経済の石油依存率は半分以下になり、G DPの伸びは 30 倍に達した。2004 年から続く原油高が国の発展を後押しし、今では摩天楼が連なる幻想的な都市国家として中東で随一の繁栄を誇っている。2020年(2021年に延期)には万国博覧会が開催される。(大阪では 2025年) |
ドバイ国際空港 (エミレーツ航空など)のハブ空港。ドバイの中心から5キロ にあり、便利な空港である。2014 年にはロンドンのヒースロ空港を抜き、国際線旅客数で世界首位になった。3つの国際ターミナルがあり、ターミナル3(2008 年開業)は世界最大級である。このターミナルはエミレーツ航空とカンタス航空の専用でA、B,Cのターミナルがある。何れもターミナルは直線で 1 キロ以上もあり、内部で電気自動車のタクシーが走っているし、長い動く歩道が幾つもある。ターミナルの中に大きな生のヤシの木が生えている。コンコースAは、巨大なA300 が 20 機駐機でき、BとCはエミレーツ航空専用である。 |
EK317 の機材は、A300 でジャンボ機(ボーイング747)よりも搭乗者数が多い。総 2 階建ての機材である。JALとの共同運航機であった。
機内のテレビ番組も豊富で、お陰で寝る暇が無かった。ただ、乗り継ぎ時間の約4時間は長くて疲れた。機内食が2回でたが、機内食を売り物にしていた昔とは違っているのは仕方がない。食事の時にビールを注文したら、アサヒの缶ビールが出て来た。
小原一浩(おはら かずひろ)
1939 年大阪生まれ。
「NPO 法人ふれ愛さやま」事務局長
大学卒業後、メーカーに勤務し、インドネシア、大阪、東京、名古屋、滋賀県守山市での勤務を経て1999年定年退職。その後NPO 法人ふれ愛さやま、訪問介護事業所などを設立。大阪狭山市議会議員を2011年から2 期 8 年務める。
『人と違った生き方を!』(文芸社 2019 年)など5冊の著書がある。